ある小学校教諭の国語教育の実践の記憶〔上〕

 私は、小学四年生の夏休みに、兵庫県西宮市内の別の市立小学校から、甲子園浜に面した東甲子園小学校という新設校に転校した。まだ全学年揃わず四年生が最上級生であり、先生方が種々新しい試みをされたので、特色のある、元気で若い学校だった。例えば、運動会で最上級生は女子も騎馬戦を行い、修学旅行は当時の阪神間の常識である伊勢神宮ではなく岡山に行った。各担任の専門教科の時間数が比較的多かったのも、新設校ゆえに許されたことだったのかもしれない。

 四五年生の時の担任の先生(深沢安夫氏、通称フカセン)は、国語がご専門だった。その他の教科も興味深かったが、やはり国語の授業が質量共に充実していたと思う。約三十年前のものではあるが、今でも十分生かせそうな取り組みが多い。紹介する為には、確かな資料や証言に基づいて「実践の記録」として整理し、国語教育史上の位置や意義も確認すべきだが、気になりながら数年を過ごしてしまった。その小学校が昨年廃校になったことはあまり影響が無いが、何よりも忘却の恐れがあるので、一応ここで記憶の整理をしておきたい。

 以下は全て、昭和四十五年九月〜四十七年三月に、四五年生(満九歳〜十一歳)を対象に行われたことである。不十分な纏めながら、少しでも参考になれば幸いである。なお【1・2】は、手元に残る当時のプリント(「S46・5年」とあり)と、それを貼った私の「読書ノート」の残欠(九枚)に基づくが、その他は記憶だけに拠るので、名称等に間違いがあるかもしれない。「実践の記憶」と題した所以である。

【1 読書ノート】
 各自、授業用の「読み取りノート」や予習用の「漢字ノート」「言葉ノート」(下で述べる)の他に「読書ノート」を作り、適宜提出した。次に、「大学ノートの表紙の裏にはっておく」よう指示された書き方を引用する(元横書き、句読点や括弧等の記号は私に改めた)。

〔1〕本の名、書いた人、発行所、ページ数、定価、題名など

〔2〕動機(どうして読むようになったか、この本に何を期待して読み出したか)

〔3〕読みはじめ読み終わり 年 月 日→ 年 月 日

〔4〕読書中にノートする 題例

 《物語文(文学的文章)では》
●まとめてみると−読んだ部分への題づけ、短い言いかえをしてみる
●予想−読み終えた部分からの根きょと理由づけから予想してみる
●ぬきがき−どうしてここをぬきがきしたくなったか、そのわけは
●手紙−主人公へ、登場人物へ、作者へ、心をこめた手紙を…
●表現読みをしてみて−感動場面を表現読みしてみてわかったこと、思ったこと、どこまではいりこみ味わえた
●登場人物の紹介、短評−この人物をどう思う? 根きょに立って深く…
●創作話しかえ−をしたくなってきた、だって…
●におってくる主題、題との関係づけ−今までのすじをしっかりおさえて…
●すじに対する私の意見−自分の生活、考えからこのすじに対して
●おもしろくない、やめる−どうしてかって、それは…
●親子読書(筆者注、これは私の字で書き足されたもの)

 《説明文(科学的文章)では》
●はじめてわかったことと感想
●自分の知っていたこと、思っていたこととくらべて
●わかることとわからないことは−どうもはっきりしないことは…
●目次、題目短文−目次、題目を今一度自分で要旨、要点を入れて書きかえる
●調べ発展読み−もっとくわしく知りたくなって調べたことを関係づけていくと…
●うなづけること、うなづけないこと−うんなるほど、そうだそうだと思えることと、おかしい、反対したくなったこと…
●作者への手紙
●実験、観察をやってみて−実さいに読んでやれることをやってみての感想を
●他の本とくらべ読みしてみて−その題とよくにたことのかいてある本とくらべ読みして
●おもしろくない、わからない、やめる−どうしてかってそれは…
●要旨を考える(筆者注、これも私の字で書き足されたもの)

〔5〕読了後ノート 例

 《物語文(文学的文章)では》
●感想文−主題文−構想メモ−記述、手紙型で主人公へ、作者へ
●感想詩−感動を中心に、くだき、しょうこことばで…、(感想画)
●読書会への準備メモ−こんなテーマでぜひ話し合いたい、こんな読書会をぜひやってみたい
●読書文集−へはぜひこれを…

 《説明文(科学的文章)では》
●作者は何をとりあげ、どんな書き方をして、何をわかってもらい、どうしてほしいといっているのか(それについてぼくは考える)
●わかったこと、(わからなかったこと)、共鳴できること、(できなかったこと)へのぼくの意見、感想、自分のくらしとの関係づけなどをまとめあげて感想文とする

 今改めて見ると、根拠・理由の重視や、やめる・わからない・反対といった否定的態度の許容が、特に注目される。但し、〔4〕〔5〕の文学的文章の例に「私」、科学的文章に「ぼく」が用いられている点は、今日のジェンダーの視点から見ると、気になるところではある。

 この「読書ノート」は、各自が自主的に読んだ本についてだけでなく、国語や道徳の授業を補う家庭学習にも用いられた。次に私のノートから、書名と題のみを挙げておく。なお、道徳の授業については地域差があるが、私が受けたものは、毎週一時間、詩や手記や物語(例えば斉藤隆介『八郎』)などの文学的文章を収めた冊子に拠る、同和教育、人権教育、平和教育であった。

国語『木龍うるし』予想/『人工衛星の利用』要旨を考える/『ストウ夫人』この人物をどう思う?
道徳『詩・ぼくらは五年生』手紙で/『かばんもち』(同和問題)ぬき書きで、すじ(ばめん)に対する意見、主題を考える/『もう半分の顔』(被爆者差別問題)登場人物短評

【2 読書感想文発表会】  昭和四十六年九月二十七日に、夏休み中の読書感想文がある成績以上だった十一名による発表会が行われ、クラス全員による批評が行われた。上位四名(恐らく挙手による)に対する私の感想を、ノートから引いておく(五年生にしては漢字の使用が少なすぎるが)。これは読書感想文の全国コンクールの予選でもあったか。

『千本松原』(支持者30人)くもの上から下かいをみて、それを中心にかいてある。すばらしいぎじゅつをつかっている。
『やせいうまマスタング』(27人)さいごに主だいを考えていてとてもよい。
『地のせいざ』(19人)本のたりないところが、ちゃんとみつけられてとてもよい。
『ハブと戦うしま』(18人)ハブとあまみの人のことがよくわかる。

【3 読書会】
 読書クラブで行ったが、クラスでは行っていないかもしれない。ある本を全員が読んできて意見交換をする一般的な読書会だが、生徒の読みのレベルの少し先を先生が示されたことが、特徴的かもしれない。『スーホの白い馬』については、恋人との仲を引き裂かれたことを馬との関係で表現したのだと言われ、主題をスーホと馬の愛情としか考えられなかった私は、初めて寓意というものを学んだ。また、『星の王子さま』は大人が読むべき童話であると言われた意味は、「大人」になってしまってから読み返して、やっと理解できた。授業中の読解でも「伏線」などを学び、作品をより面白く感じたことを覚えている。

【4 読み聞かせ】
 これは三年生の時の先生もして下さった(『黒部の太陽』『小さい魔女』)。その本の面白さを知るだけでなく、他の本も読もうという気にさせてくれたと思う。覚えている本は『ユンボギの日記』。なおこれも広く行われていることだが、黒板の横の本棚に、個人の本をそれぞれ持ち寄った学級文庫があった。管理は、その学期の委員の人。

【5 説明文の形式段落の図解】
 教科書に線を引き段落に番号を打つのは一般的なことだが、更に、ある説明文の学習の際、形式段落全てに番号を打ち、画用紙に文章の構成を図解する練習をしたことがあった。自ずと接続詞や「例えば」「要するに」などの語句に注目することになる。これも、確か何人かの図を比較する場があった。理科的な文章を国語で学ぶのは、内容を理解する為だけでなく、自分でも論理的文章を書く力を身につける為だろう。応用ということを視野に入れておいたほうがよいと思うのである。右の方法は、二つの目的を達成する為に有効であったと思う。

【6 スケッチ】
 絵を書くことのほうがまだ少し得意な転校生は、国語の時間中に「スケッチ」をすると聞いて喜んだが、これは言葉を用いた写生であった。青い手動の鉛筆削りを教卓の上に寝かせて、各自が黙々とノートに写していき、確かその後で発表会を行った。他の素材は忘れてしまったが、観察力と表現力を身につける練習が、集中的にできたと思う。

【7 作文指導】
 原稿用紙の使い方や校正記号を含め、作文の書き方について教わった。【1】の〔5〕の「感想文」と同様に、まず自分が書きたいことを纏めて(主題文)、順序や例などの構成を書き出してから(構想メモ)〔*あるいは構想段落メモだったか〕、それを膨らませる形で記述していくというものだった。

【8 文集作り】
 書く機会が多かったので、壁新聞や学年末の思い出文集以外にも、何度か文集を作った。カットや印刷も含め全て生徒による。椋鳩十の作品を総合的に論じた「椋文学について」(四年女子)、夏休みの信州白馬岳への旅行記(五年男子)などが、特に印象的であった。

 文字と言葉、聞くと話すの学習については〔下〕で述べたい。

(続)


ある小学校教諭の国語教育の実践の記憶〔中〕

 前稿(前号)では、私が昭和四十五年九月〜四十七年三月に実際に受けた、兵庫県西宮市立東甲子園小学校(現在は廃校)における、四、五年生の時の担任(深沢安夫氏)による国語教育のうち、読書や読み・書き(言葉を除く)に関わる、【1 読書ノート】【2 読書感想文発表会】【3 読書会】【4 読み聞かせ】【5 説明文の形式段落の図解】【6 スケッチ】【7 作文指導】【8 文集作り】について述べた。

 本稿では、主に文字と言葉の学習について纏めておきたい(聴くと話すの学習を〔下〕で扱う)。約三十年前のものではあるが、やはり今でも十分生かせそうな取り組みが多いと思われる。一部のノートを除くと、記憶のみに頼った、国語教育史上の位置づけも怠った不十分な纏めではあるが、少しでも参考になれば幸甚である。

 なお前稿末に、「文字と言葉、聞くと話すの学習については〔下〕で述べたい」と記したが、長くなったので〔中〕〔下〕に分けた。また【8 文集作り】のところに、「カットや印刷を含め、全て生徒による」とあるのは、「児童」もしくは「子ども」に訂正させていただく。

【9 漢字ノート】
 新出漢字を調べる予習用に、各自持っていたものである。各教材に入る前に、自宅で漢和辞典を用いて、〈部首〉〈音・訓〉〈意味〉〈対語・類語〉、そしてその漢字を用いた〈熟語〉をいくつか調べて書き、提出した。

【10 言葉ノート】
 【9】と同様に、新出の言葉(慣用句を含む)の予習用で、各自が自宅で国語辞典を用いて〈意味〉や〈対語・類語〉〈例文〉などを調べ、提出した。〈例文〉が辞書に無い場合は、自分で作った。一番最初に〈予想される意味〉の項目を設け、実際に辞書で調べる前に意味を考えてみることを義務づけられていたのが、特徴の一つといえよう。これらの必須項目の他に〈発展〉の項目もあり、興味を持ったことがあれば、自主的に更に調べてみるように、促された(確か【9】にもこの項目があった)。もちろん、このような自主学習が充実していれば高く評価された(最高の評価である☆印が赤ペンで書き込まれた)。

 このように自主性が重じられたが、【9・10】共にまず最初に、項目や横書きの大学ノートにどれぐらいの幅で縦線を書き入れるかなど、ノートの使い方、漢字・言葉の調べ方について、具体的に教えられた。まず技術を伝授されることが必要であり、それを身につけてこそ、自分らしさも発揮しやすかったわけである。枠組みがわかりやすく示されなければ、子どもは途方に暮れて、力を出し切れない。

 また【9・10】により、漢和辞典と国語辞典を手放すことができず、辞書を引くという習慣が身についた。

 なお蛇足になるが、私の場合は国語辞典(確か小学館)の中身よりも口絵の国宝のカラー写真を眺めている時間のほうが長かったので、十歳前後から、無著・世親像や誕生釈迦像、中尊寺金色堂等々、仏像や寺院にだけはやたら詳しくなってしまった。同じく口絵にあったオオサンショウウオ等々の天然記念物の写真に、(私は見ないよう努めたが)心魅かれた子どももいたものと思われる。こういったものに触れる機会は、図録・図鑑、ビデオ、今ならインターネットその他種々あるが、何かのついでに繰り返し触れるので抵抗が少ないという点では、口絵などが有効だといえる。学習帳の表紙や見返しなどの絵も、同様であろう。ちなみに、私が小学校の低学年の時に使用していた「こくご」の学習帳には、『枕草子』の「香炉峯の雪」の段の絵が描かれていたので、「せいしょうなごん」という人が身近だった。

【11 文法】
 品詞については、少なくとも名詞、動詞、形容詞(但し「イ言葉」として)は教わった記憶がある。口語文法の体系については、中学三年で教わったが、それ以前は覚えていない。小学四、五先生では、その他、文章を読み・書きする際に重要なものとして、主述関係、指示語、接続詞(語)、擬声語・擬態語、比喩表現等も習った。これには修飾・被修飾の関係を矢印で示すというような工夫も含まれる。

【12 一読一視写】
 三つ目の予習ノートとして、「一読一視写(いちどくいちししゃ)」用のノートがあった。次に授業で扱う教科書の文章全文(説明文でも言語事項でも)をあらかじめ大学ノートに写して提出したのだが、これが当時の唯一納得できなかった課題である。ただ写せばいいのではなく、次のような条件があった。

(a)視ながらではなく、できる限り多くの文を読んで、直ちに書く。
(b)漢字や句読点・かぎ括弧の位置も含めて正確に、清書する。

 そして書いたあとに、教科書を見ながら自分で赤ペンでなおした。手元に五年生の時の五枚分が残っているが、漢字の間違いの他、読点や副詞などの語句を補ったり、平仮名を漢字に、「結ぶ」を「つなぐ」に、「校舎」を「教室」に改めたりしている。中には、私が勝手に創作してしまった箇所(次の×の傍線部)もある。かなり纏めて読んで覚え、書きつけたものと思われる。

○道路は、居住者の多い地帯をさけ、台地を通り山すそにそって続いている
×道路は、居住者の多い土地をさけ、台地を通り進んで行った

○慣用句の中には、人の体の一部をさすことばがもとになってできたものがたくさんあります
×慣用句の中には、人の体の一部をさすことがもととしていわれているものがほとんどです

 さて、前掲の(a)(b)二つを同時に行うことは難しく、私の場合は(b)を重視し、ただの教科書に丸写しに近くなることもあった。もちろん、これだけでも、きれいに書く練習の他、漢字の書き取り(送り仮名を含む)や、種々の言葉や言い回し(主述関係、接続詞等々も)、句読点を打つ位置、括弧記号の用い方、改行・段落分けのタイミング等々を学ぶ機会になっていたと思う。これは、その文章をより深く読むだけでなく、自分で文章を自分で書く時にも役立つことである。しかし、(a)もまた文章を読む力をつける上で重要なことであったはずである。

 つまり、教科書を写すということは、さまざまな効果があるが、ねらいを明確にし、それに応じた条件をつける必要があるということだろう((b)だけでも複数のねらいが混在?)。子どもの私が辛かったのは、複数の意図が衝突しており、それが不明確だった為だと思われる。

 ところで、研究授業を見ていて気になるは、子どもの書くスピードの遅さである。考えながらの場合に限らず、板書や教科書を写す速さが、年々遅くなってきているように感じる。しかも遅いからといってきれいに書けるわけではなく、字体も幼い。書く練習の必要性が昔よりも高まっているのではないだろうか。

【13 読み取りノート】
 これは授業中に使うノートである。主に自宅学習用の【1 読書ノート】(〔上〕を参照されたい)、【9】【10】【12】と合わせて、国語については計五種類のノートを使い分けていた。

 これも手元に十四枚分が残っているのだが、それを見ると授業中は何を扱ってもこれ一冊を用いていたようである。例えば、〔要旨文〕と〔私の例証〕、意味段落ごとの要約と〔感想・意見・主題〕、〔要旨文〕と〔発表準備メモ〕、段落ごとのキーワードと〔要旨とそれに対する私の意見〕(後掲〈A〉)、詩の分析と感想文(〈B〉)、自分の詩(恥ずかしながら国語の成績の伸び悩みを扱ったもの)、詩についての〔私の鑑賞ノート〕、漢字テスト、言葉テストなどである。テストはもちろん、感想文など各自の創作の箇所にはほとんど添削や◎や☆などの朱が入っている。以下、拙文を二例挙げておく。表記は改行箇所を含め全く改めていない。〔*今、改行箇所は改めた〕

〈A〉この文は、高速道路の必要性をいっているのだと思います。そしてこの報道文で、高速道路のせんでんをしているのでしょう。でもこんなことはおかしい。自動車に乗って全国各地へ行ける日も遠くないと書いているけど、いくら道路と車があっても、私たち日本人は、自動車に乗って旅行する時間もなく、日本じゅうを回るのにいるガソリン代もない。だから、私たちに、時間とお金をじゅうぶんにあたえてくれないと、こんな夢はじつげんされない。それに、道路が完成すると、自動車のそうおんや、はい気ガスで、人間に害をあたえることにもなる。その公害がひどくなれば、作者も死んでしまうのに、作者はそのことをどう思っているのだろう。
 この報道文だけでは、高速道路、とてもいいもののように思わされる。でも、この文の中にあった夢がかなうのは、とても遠いことで、じつげんされないりつが多い。このような理由からこの要旨はおかしいと思う。(学習後の感想、未添削)

〈B〉この「茂作じいさん」という詩をよめばよむほど、海に生き、海に育った茂作じいさんの漁師だましいがとてもよくあらわれてくる。
 −しおがいいぞ。魚の群れがあるぞ。−
 −しおがはやくてだめだ。魚は、いっぴきもいやしない。−
 というように、しおの、流れを見ただけで、魚が、いるかどうか、見分けられるのは、長年のけいけんのせいかだ。このおじいさんのように、かみの毛が一本もなくなり、歯も一本もなくなるまで、働き、働くことへの偉大さをもった茂作じいさんこそ、民衆的英雄なんだろう。このしをよんで、はたらくことへのい大さというものが、わかりかけてきた。私もおとなになったら、茂作じいさんを見習って、自分の仕事にうちこもうと思った。それに仕事だけでなく、今やろうとしていることは、いっしょうけんめいしよう。そう私は考えた。
 この詩には、「けれども、みんなは知っている。茂作じいさんが何をいっているのか。」というようにとうち法が、つかわれたり、不漁の船をいたずらをした子どもにたとえたりして、とらんとこう〔*わざと獲らないでおこう〕と思っていてもとれなかった、ということや、家族のしょんぼりしたきもちがあらわれている。こんなとうち法、投問法、ひゆは、私のしの書き方にとりいれようと思った。(学習後の感想、最後の段落には◎あり)

(続)


ある小学校教諭の国語教育の実践の記憶〔下〕

 前々稿(本誌第四十五集)では、阪神甲子園球場に程近い西宮市立東甲子園小学校(現在は廃校)において、私が昭和四十五年九月〜四十七年三月に受けた、四・五年生の時の担任(深沢安夫氏)による国語教育のうち、読書や読み・書きに関わる【1 読書ノート】【2 読書感想文発表会】【3 読書会】【4 読み聞かせ】【5 説明文の形式段落の図解】【6 スケッチ】【7 作文指導】【8 文集作り】について述べた。更に前稿(同第四十六集)では、文字と言葉の学習を中心に、【9 漢字ノート】【10 言葉ノート】【11 文法】【12 一読一視写】【13 読み取りノート】の五点に分けて紹介した。

 本稿では、主に聴くと話すの学習を取り上げたい。約三十年前のものではあるが、今でも十分生かせそうな取り組みがあると思われる。一部のノートを除くと、記憶のみに頼った、国語教育史上の位置づけも怠った不十分な纏めではあるが、何かの参考になれば幸甚である。

【14 話し方】
 授業中の発表とは別に、後述する学級会での説明やお楽しみ会での研究発表など、聴衆(本人以外のクラスの全員)を前にして、一人がやや長めに話す機会が少なくなかった。その際の注意事項として、例えば次のようなことを繰り返し教わった。

*テレビのアナウンサーのように、できるだけ顔を上げて前(聴衆)を見る。原稿のみに目をやり、ずっと下を向いていてはいけない。
*助詞の「が」は「鼻濁音」。やはりアナウンサーを見習うべし。
*説明の際は、先に要点をいうとよい。電話をかける時も同じ。まず「〜についてですが」というとわかりやすい。
*言葉だけでなく、模造紙に纏めたり(ポスター発表)、画用紙に絵を描いたりすると、わかりやすい。

 なお、発表方法の学習の一つとして、「パネルディスカッション」をやろうという話があったが、実現に至らなかった。

【15 挙手の際の指形】
 授業中、意見や質問のある人が挙手するというのはごく一般的なことだが、私達はじゃんけんのパーの形以外も用いるように教えられた。

 前の説明や意見に対して〈賛成〉の時はグーで、〈反対〉の時はチョキ。〈質問〉がある時は、親指と人指し指で輪を作った(いわゆるマネーの形)。どういう指の形だったかは忘れたが、〈付け足し〉も確かにあった。各自が他人の意見をよく聴いて、瞬時に自分の考えと照らし合わせて、いずれの形にするか判断したのである。

 これらを用いると、一人一人が何の為に挙手しているのか、また目的ごとの人数の分布が、一目瞭然である。大抵の人は口でも「賛成!」「付け足し!」「反対!」「質問!」などといっていたが、そういうふうに声を出すのが恥ずかしい人でも、明確に態度表明ができた。

 ちなみに、教育大生の研究授業の折に、誰かが発表した後に挙手する際や自分が当てられると、「ちょっと違う!(だからいわせて…)」や「○○ちゃんの意見とだいたい同じなんだけど…」などというように習慣づけられているクラスに出会うことが何度かあった。指記号とねらいは重なり、好ましいことと拝見していたが、年々そういうクラスが減ってきているように思われる。

 逆に、全く同じといっていいような意見を挙手している人全員にただ単にいわせるだけ(途中で同じものだと自ら気づいて手を挙げなくなる子どもも一部にはいるが)、もしくは、子どもから出された意見どうしが対立・矛盾しているのに、それに気づかせることなく、次々といわせるだけ、というパターンが増えてきたように思う。両者は、意見の出しっぱなし、という点で共通している。その授業を受けたことで子ども達に何か「発見」があったのかどうか…。研究授業の特殊性を差し引いても、「活発にたくさんの意見が出てよかったですね。」というだけでは不十分ではないだろうか。

 子どもの個性・多様性の尊重とか、「みんな違ってそれでいい」というのは尤もなことだが、それは何も周りの人のあり方に無関心であっていい、一人一人が好き勝手なことをしてお互いに理解し合わなくていい、という意味ではないはずである(理解イコール一致でないことはいうまでもない)。せっかく同じ教室で学んでいるのに、一人一人の意見が賛成・反対共にぶつかり、かみ合い、寄り添うこともなく、バラバラのまま放置されることを良しとする風潮はいかがなものか。

 それぞれを尊重しつつ、違う者どうしが批判される痛みや共感する喜びを伴いつつ、関わり合っていく原点が、教室での他人の考えと自分のそれとの関係を考えることにあるのではないか。特に、対立する意見が出た場合は、しっかり意見交換をさせる必要があると思う(確かに時間的制約はあるが…)。自分の考えの修正も場合によっては必要で、特に、明らかな誤読については、最終的に子ども達が気づかなければ教師が導く必要があるだろう。「すべての読みは誤読である」と文学研究ではいうが、単に言葉の理解が不十分であることに拠るのであれば(例えば「しかし」が逆接だということを見過ごしている場合)、それはただの誤読であろう。もちろん段階的に誤解を解く必要はある。各自の受け取り方が絶対・不変のものであれば、コミュニケーションは成り立たないし、そもそも教室に集まる必要は無いのでは?

【16 学級会】
 ほぼ毎週の学級会において、各種委員会からの報告や提案があり、それらに関する質疑応答や、お楽しみ会の日程・司会者・場所等についての話し合いが行われた。各種委員会とは、給食・飼育・美化・掲示・生活・図書・放送・落とし物等で、座席を基準とする班活動(授業中の話し合い・給食・宿題チェック等の単位)とは別だったと思う。

 もちろん学級会といっても会議なのだから、議長や書記がいて、議題が明確に示され、それについて賛成・反対と意見を闘わせて、質問にはされた人がきちんと答えた上で、挙手により採決した。その間、右で述べた指形を用いたことはいうまでもない。議論が膠着状態に陥ったり、議長の進め方に不満・疑問を感じた場合などは、「議事進行について」といって挙手をし、打開策を提案する人もいた。十歳頃にこれが会議だと学習した者には、教授会は謎が多い「会議」である。

 この他に、やじを飛ばすことや、(会議の最中に限らず)皆に聞こえないように相談する際には、「無声音」を使うべきことことなども教わった。後者は誰もが実行していたが、前者のやじについては、一部の男子が「そやそや」「ちゃうちゃう」などと果敢にも挑戦(?)していたが、全体に定着するには至らなかった。

【17 お楽しみ会】
 年に二回あったと思う。名称は忘れたので仮称である。教室の前三分の一ほどを舞台に見立てて、残りを観客席とし(椅子は使わない)、カーテンを幕代わりにして間を仕切った。全員が最低一回は演じる。

 出し物には、歌・手品・二人羽織等の隠し芸もあったが、以下のように、何らかの形で国語科と関わるものが多かった。

*好きな本の朗読。詩の暗誦や朗読。例えば「雨ニモマケズ」。なお、日頃から私達は共産圏の詩の教育のすばらしさを聞いていた。
*研究発表。例えば、蚕の成長についてのポスター発表や、鉄道の車両の型や記号についての紙芝居(画用紙に描く)形式の発表。自主的な調べ学習は、普段から教室掲示もされた。私も何種かの布の性質について調べ、見本と共に画用紙に纏めたことがある。
*好きな物語の紙芝居。台本・絵はもちろん自分達で作った。私は五年生の時、友人と二人で『太陽の子と氷の魔女』を取り上げた。
 なお、教科書の物語教材において、紙芝居にしてみようといって子ども達に話のポイント・山場を考えさせる取り組みが、札幌・石狩の小学校で行われているとうかがったことがある。確かに、より自覚的な読みに繋がるものと思われる。
*劇。台本の他、衣装・カツラ・小道具・大道具も自分達で作った。
 兵庫県内の学校ゆえか、毎回男子中心の『忠臣蔵』があった。マンネリのようだが、「松の廊下」の長袴や、切腹して首が取れる場面や月代等に、体操服や体操帽を巧みに用いるようになるなど進歩が見られた(歴史好きの男子達は、更に掃除の時間にまで、体操帽で紅白に分かれ、箒を振り回して源平合戦をしていた)。一方女子は、ギリシア神話やオリジナル劇など洋物で対抗した。

【18 演劇鑑賞】
 ある教諭の話からは逸れるが、聴くことの一つとして、最後に演劇鑑賞について付け足しておきたい。低学年の時に通っていた宝塚市立の小学校は宝塚大劇場で、西宮市に引っ越してからは西宮市民会館で、何度か観劇に行ったが、自分達の演劇ほどにはよく覚えていない。

 最も印象的だったのは、高校時代に観た茂山千五郎さん〔*今の千作さん〕達による狂言である。場所は高校の体育館で広すぎず、何といっても狂言自体がわかりやすく面白くて、ほとんどの生徒が舞台に魅きつけられていた。

 一方、高校の非常勤講師をしていた時に神戸市民ホールで観た歌舞伎は、地味で内容もわかりにくかった。客席があまりに騒がしく、人間国宝自らお叱りの言葉を賜ったが、生徒達への同情の余地も多分にあった。歌舞伎が悪いというわけではない。一度も観たことがない高校生にもわかるものを、教師側が選ぶ必要があると思う(いわゆる「発達段階に応じて」。例えば『鳴神』や『道成寺』はいかがか)。

 以上【1】から【17】までが、ある小学校教諭の国語教育の実践についての私の記憶である。もちろん他の教科の学習においても、国語の専門家ならではの工夫・特長が色々とあったし(例えば算数の時間の「約分畑」などという命名や、社会の教科書の批判的な読み等々)、三日月→半月→月→星印(花マルに当たるか)という独自の段階的な評価方法や、『誉められ讃えられ賞』というクラス内の表彰状(B6サイズ、ザラ紙に印刷)を作ることで、私達のやる気・向上心を上手く引き出しておられた。この表彰制度は、積極的発言や作文・絵画等の入選を含む学習面での実績の他、体育大会(地域的に非常に充実していた)やお楽しみ会での活躍(後者は人気投票に拠る)、夏休み中の研究・制作等の成果(何十もの例示を参考にして各自が行う、ワークブックは無い)、生活態度、委員会活動、課外活動等々、小学生のあらゆる活動を対象としていた。たとえ国語嫌いであっても、活躍ができ、認められる場がいくつもあったことを申し添えておく。

(了)

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