『蒙求』徐注本標題
附 韻字ほか

(2004.02.13作成)
(2004.10.12補足)
(2010.5.20修正)
『蒙求』徐子光補注本の標題一覧を,新釈漢文大系58・59『蒙求 上・下』(早川光三郎氏著,明治書院,昭和48年,底本は岡白駒『箋注蒙求校本』)に基づいて作成した。
これの元は教養科目の資料だが,実際に用いたのは前のほうだけなので,途中からは未確認である。まちがいを見つけ次第,修正していきたい。ご教示いただけたら幸いである。
外字は〓で示し,備考欄で説明した。説明の方法は,例えば,「竹の下に間」なら「簡」,「階のコザトを木に」なら「楷」のことである。
備考欄には,古注の標題との違いも掲げた。例えば,48番目「王符縫掖」は,古注では「王符縫腋」となっている。
韻字の分類は以下の通り。354番以降は,去声が平のかわりになっている。それ以前の韻は,完全に平と仄が交互。
  このことは,
  前半の1〜336番は,平声○→上声●→平声○→去声●→平声○→入声● の繰り返し(7回)
  後半の337番以降は,平声○→上声●→去声●→入声● の繰り返し(8回)
と言うほうがよいだろう(2004.10.12補)。このことからすると,『蒙求』は当初3巻ではなく2巻構成だったと考えられるのではないか。(2007.03.23補)
韻字一覧(一〇六韻・平水韻)
※上平(じょうひょう)→現代中国語で多く第一声ex.「媽」に,下平(かひょう)→第二声「麻」,上声(じょうしょう)→第三声「馬」,去声(きょしょう)→第四声「罵」に。
※入声(にっしょう)は末尾が「フ・ク・ツ・チ・キ」(p・t・k)で終る。現代中国語の発音には無い。ex.「入(ニフ)」「十(ジフ)」「潔(ケツ)」「易(エキ)」
平声上平東 冬 江 支 微 魚 虞 斉 佳 灰 真 文 元 寒 刪
下平先 蕭 肴 豪 歌 麻 陽 庚 青 蒸 尤 侵 覃 塩 咸
上声董 腫 講 紙 尾 語 麌 薺 蟹 賄 軫 吻 阮 旱 潸 銑 篠 巧 皓 煤@馬 養 梗 迥 有 寝 感 〓(王の右に炎) 〓(豆の右に兼)
去声送 宋 絳 ゥ 朱 御 遇 霽 泰 卦 隊 震 問 願 翰 諫 霰 嘯 効 号 箇 〓(示の右に馬) 漾 敬 径 宥 泌 勘 〓(豐の右に盍) 陥
入声屋 沃 覚 質 物 月 曷 黠 屑 薬 陌 錫 職 緝 合 葉 洽


標  題 訓   読 内   容 備 考
1 王戎簡要 裴楷清通 おうじゅうかんよう/はいかいせいつう 才能。王戎は簡にして要を得,裴楷は清らかでありながら世態に通じていた。
3 孔明臥龍 呂望非熊 こうめいがりゅう/りょぼうひゆう 帝王の師。諸葛孔明は民間にあった時,隠れた才能を認められて臥龍と評され,周の文王は狩猟の前に獲物を占って,釣をしている太公望呂尚に出会った。
5 楊震関西 丁寛易東 ようしんかんせい/ていかんえきとう 学才。楊震は儒学に通じ関西の孔子と評され,丁寛は易学を修めて帰国する時に師から我が易学が東方に移ると言われた。
7 謝安高潔 王導公忠 しゃあんこうけつ/おうどうこうちゅう 隠逸・謹慎。謝安は山林に隠れて朝廷から召されたが出仕せず,王導は帝と親しかったが身分を考えて謹み深かった。
9 匡衡鑿壁 孫敬閉戸 きょうこうさくへき/そんけいへいこ 勤学。匡衡は壁に穴を開けて隣家の灯火で読書し,孫敬(字文宝)は戸を閉じて勉強したので世人から閉戸先生と呼ばれた。
11 〓都蒼鷹 〓成乳虎 しつとそうよう/ねいせいにゅうこ 過酷な政治家。〓都は厳しく人を責めるので蒼鷹(くまたか)と呼ばれ,〓成は厳酷で子持ちの虎より恐れられた。〓(至にオオザト),〓(上から宀・必・冉)
13 周嵩狼抗 梁冀跋扈 しゅうすうろうこう/りょうきばっこ ほしいままな気質。周嵩は心荒く人に逆らう人で,世に容れられなかった。梁冀はおごり高ぶり,跋扈将軍と称された。
15 〓超髯参 王c短簿 ちちょうぜんさん/おうじゅんたんぼ 身体。〓超は多くの髯(ほおひげ)により髯参軍,王cは身長が低かったので短主簿と,並び称された。〓(希にオオザト)
17 伏波標柱 博望尋河 ふくはひょうちゅう/はくぼうじんか 遠隔地に派遣。伏波将軍馬援は南蛮を征伐して国境に標柱を立て,張騫は黄河の源をきわめて博望侯に封ぜられた。
19 李陵初詩 田横感歌 りりょうしょし/でんおうかんか 詩歌の起源。漢の蘇武が李陵に贈った詩が五言古詩の始まりで,斉の田横の自殺を従者が悲しみ歌ったのが挽歌の始まり。
21 武仲不休 士衡患多 ぶちゅうふきゅう/しこうかんた 詩文の才。傅毅,字は武仲は能文家で,筆を持ってせっせと記し,陸機,字は士衡は,自分に文才が多いのを患いとした。
23 桓譚非讖 王商止訛 かんたんひしん/おうしょうしか 妄言を戒めた人。桓譚は帝の激怒をかいながらもその讖占(うらない)を非難し,王商は洪水のデマを鎮め帝に賞美された。
25 〓呂命駕 程孔傾蓋 けいりょめいが/ていこうけいがい 交友。〓康は呂安に会おうと思い立つと千里も遠しとせず乗り物を命じ,孔子は程子と路上で会い車を止め蓋(かさ)を傾けて終日語った。〓(禾の右に尤,これらの下に山)
27 劇孟一敵 周処三害 げきもういってき/しゅうしょさんがい 武侠。劇孟を味方とした周亜父は一敵国を得たようだと喜び,周処は三害とされた自分以外の二つの虎とみずちを退治し,己の乱暴を改めた。
29 胡広補闕 袁安倚頼 ここうほけつ/えんあんいらい 高官。胡広は大尉となって朝政が闕(か)けたのを補い,袁安は司徒として朝廷全部の信頼を受けた。
31 黄覇政殊 梁習治最 こうはせいしゅ/りょうしょうちさい 優秀な政治家。黄覇は政治の才能が特にすぐれ仁政を施したので瑞祥が現れ,梁習の政治は天下に最たるものであった。
33 墨子悲絲 楊朱泣岐 ぼくしひし/ようしゅきゅうき 本が同じで末が異なるのを憐れむ。墨子は練り糸を見て一旦染まったらその色になるからと泣き,楊朱は道が幾筋にも分かれているのを見て泣いた。
35 朱博烏集 蕭芝雉随 しゅはくうしゅう/しょうしちずい 徳が鳥にまで及ぶ。御史大夫の朱博の役所の並木に烏が群集し,蕭芝が朝廷へ行き来する間に多くの雉が随った。
37 杜后生歯 霊王出髭 とこうせいし/れいおうしゅっし 帝王・后妃の身体。杜后は成帝から結納が贈られた時に始めて歯が生え,周の霊王は生まれながらにして髭が生えていた。
39 賈誼忌〓 荘周畏犧 かぎきふく/そうしゅういぎ 賈誼はみみずくが家に飛び込んだので不吉として賦を作り,荘子は生贄の牛が結局は殺される話を引き王の招きを辞退した。〓(服の右に鳥)
41 燕昭築台 鄭荘置駅 えんしょうちくだい/ていそうちえき 燕の昭王が賢人を招こうとして,まず郭隗の為に台を築くと賢人が続々と集まり,鄭荘は駅馬を常備して賓客を招いた。
43 〓靖二妙 岳湛連璧 かんせいにみょう/がくたんれんぺき 衛〓と索靖は共に尚書の役所につとめ草書に巧みだったので一台二妙と呼ばれ,潘岳と夏侯湛は共に美男子で連璧と称された。〓(灌のサンズイを王に)
45 郤〓一枝 戴憑重席 げきしんいっし/たいひょうちょうせき 郤〓は試験に一番で合格したが自分など桂林中の一枝ぐらいと謙遜し,戴憑は経史の議論に勝ち褒美に五十余の敷物を得た。〓(言の右に先)
47 鄒陽長裾 王符縫掖 すうようちょうきょ/おうふほうえき 鄒陽は自分は何国でも長い裾を引く好待遇を受けられるが呉王の義を期待して去らぬと諫め,王符は腋を縫った服の儒者として太守より尊敬された。掖→腋
49 鳴鶴日下 士龍雲間 めいかくじっか/しりゅううんかん 弁舌。荀隠,字は鳴鶴と,陸雲,字は士龍は,初対面の席でおのおの雲間の士龍,日下の鳴鶴と名乗って自分を誇った。
51 晋宣狼顧 漢祖龍顔 しんせんろうこ/かんそりゅうがん 晋の宣帝は狼と同じように身体を動かさずに後ろ向きになることができ,漢の高祖は鼻が高く龍のように長くいかめしい顔つきで鬚(あごひげ)や髯が美しかった。
53 鮑〓記井 羊〓識環 ほうせいきせい/ようこしきかん 鮑〓は前世で井戸に落ちて死んだことを記憶していた。羊〓は前世は隣家の子で,当時持っていた金の指輪のことを覚えていた。〓(の右に見),〓(示の右に古)
55 仲容青雲 叔夜玉山 ちゅうようせいうん/しゅくやぎょくさん 阮咸,字は仲容は高位高官にも上れる大器量の人で,〓康,字は叔夜が酔った様は玉でできた山が崩れたように見事だった。
57 毛義奉檄 子路負米 もうぎほうげき/しろふべい 孝養。毛義は孝行だったので公の召し状(檄)が来た時は大喜びだった。子路は親を養う為に遠くから米を背負っていった。
59 江革巨孝 王覧友弟 こうかくきょこう/おうらんゆうてい 孝養悌順。江革は母を乗せた車が揺れないように自分で静かに引き,王覧は母が継子である兄の祥を虐めるのをかばい母を諫めた。巨→忠
61 蕭何定律 叔孫制礼 しょうがていりつ/しゅくそんせいれい 漢初の政治。蕭何は皇祖の為に律令を作り,叔孫通は礼儀を制定した。
63 葛豊刺挙 息躬歴詆 かっぽうしきょ/そくきゅうれきてい 言語厳正。諸葛豊は司隷校尉として犯罪者を遠慮なく検挙した。息夫(二字姓)躬は公卿大臣をあまねく詆(そし)った。
65 管寧割席 和〓専車 かんねいかっせき/かきょうせんしゃ 高潔。管寧は貴顕に心が奪われる友と席を隔て,和〓は中書令として中書監と同車するのが習わしだったが,監が俗物ゆえ拒否し独りで座った。〓(山の右に喬)
67 時苗留犢 羊続懸魚 じびょうりゅうとく/ようぞくけんぎょ 廉潔。時苗は任地を去る時そこで生まれた子牛を残し,羊続は部下からの賄賂の魚を庭中に懸けて他の者への戒めとした。
69 樊〓排闥 辛毘引裾 はんかいはいたつ/しんぴいんきょ 忠諫。樊〓は朝政を怠っている主君高祖を門を排(お)して進入して諫め,辛毘は魏の文帝の裾を引っ張って非政を諫めた。〓(口の右に會)
71 孫楚漱石 〓隆〓書 そんそそうせき/かくりゅうさいしょ 詭弁を弄した臍曲がり。孫楚は流れに漱(くちそそ)ぐと言うべきところを石にと言い誤ったが強弁し,〓隆は七月七日の虫干の日に仰臥して自分は腹中の書を日に晒していると言った。〓(赤にオオザト),〓(日の右に麗)
73 枚皐詣闕 充国自賛 ばいこうけいけつ/じゅうこくじさん 枚皐は武帝の所に参上して召しのあった枚乗の子であると名乗り,趙充国は西戎討伐の将には自分が適任だと自己推薦した。
75 王衍風鑑 許劭月旦 おうえんふうかん/きょしょうげったん 人物批評に優れた人。王衍は講義に巧みで弁舌に優れ人倫の鑑と称され,許劭は従兄と人物批評をし,その題目を毎月一日に更新した。
77 賀循儒宗 孫綽才冠 がじゅんじゅそう/そんしゃくさいかん 賀循は経学において江東の儒者中の宗匠と称され,孫綽は詩文の才能において当代の冠(第一人者)と目された。
79 太叔弁給 摯仲辞翰 たいしゅくべんきゅう/しちゅうじかん 太叔広は弁舌爽やかで,摯虞,字は仲洽(ちゅうこう)も対応できなかった。その摯仲洽は詞翰(詩文)に長じ太叔広に優っていた。辞→詞
81 山濤識量 毛〓公方 さんとうしきりょう/もうかいこうほう 山濤,字は巨源は識見器量が遥かに優れた人であり,毛〓は公明方正の人だった。〓(王の右に介)
83 袁〓卻坐 衛〓撫牀 えんおうきゃくざ/えいかんぶしょう 袁〓は慎夫人が后と同じく帝と同座するのを卻(しりぞ)け,衛〓は酔いに紛れて玉座を撫でて惜んで暗に愚かな後継を廃するよう諫めた。〓(央の下に皿),〓(灌のサンズイを王に)
85 于公高門 曹参趣装 うこうこうもん/そうさんしゅそう 于定国の父は自分の陰徳で子孫が出世するだろうと村の門を高く作らせ,曹参は予想通り亡き大臣の後任として召された。
87 庶女振風 鄒衍降霜 しょじょしんぷう/すうえんこうそう 天神感応。庶民の未亡人が姑殺しの冤罪を天に訴えて風雷を起こし,鄒衍は讒言で捕えられて天に訴え夏に霜を降らした。
89 范冉生塵 晏嬰脱粟 はんぜんせいじん/あんえいだつぞく 清貧質素。范冉は貧乏で食物が無く蒸籠(せいろう)には塵が積もるなどし,晏嬰は籾殻を取っただけの玄米を食べた。
91 詰汾興魏 鼈令王蜀 きっぷんこうぎ/べつれいおうしょく 異常な帝王の出現。詰汾は天女と通じて後継者を得て北魏を興し,鼈令の死骸が長江を遡り蘇生して蜀王から位を譲られた。詰→誥,令→冷
93 不疑誣金 卞和泣玉 ふぎふきん/べんかきゅうぎょく 直不疑は疑われて金を償ったが後に無実と分かり,卞和は玉の原石を王に献上したのを偽物とされ手足を斬られたが血の涙を流して訴え疑いが晴れた。
95 檀卿沐猴 謝尚〓〓 だんけいもっこう/しゃしょうくよく 檀長卿は祝賀会の余興に犬猿の争いの真似をし,謝尚は宴会で乞われて〓〓(もずに似た鳥)の舞をした。〓(句の右に鳥),〓(告の右に鳥)
97 太初日月 季野陽秋 たいしょじつげつ/きやようしゅう 夏侯玄,字は太初は日月の光のように潔白で,〓〓(ちょほう),字は季野は心中に春秋があると言われ,四季の差のように人を褒貶した。〓(コロモヘンに者),〓(衣の間に臼)
99 荀陳徳星 李郭仙舟 じゅんちんとくせい/きかくせんしゅう 高尚な人。陳寔(しょく)が荀陳を尋ねると徳星が現れ,李膺(よう)が郭泰を送って同船した様は仙人のようだった。
101 王〓綉被 張氏銅鈎 おうしゅんしゅうひ/ちょうしどうこう 王〓は旅先で死んだ青年を葬ってやり,刺繍のある被(ふとん)を授かった。張氏の懐に入った鳩が銅のカギとなり,それが有る間は家が栄えた。〓(リッシンベンに屯)
103 丁公遽戮 雍歯先侯 ていこうきょりく/ようしせんこう 項羽の臣の丁固は漢の高祖を救ったが不忠の見せしめに斬られた。その一方で高祖は気の合わない雍歯をまず諸侯に封じ人心を安定させた。
105 陳雷膠漆 范張鶏黍 ちんらいこうしつ/はんちょうけいしょ 陳重と雷義との友情は粘着力の強い膠・漆よりも堅く,張劭(しょう)字は元伯は2年後の約束の日(古注9月15日)に鶏ときびの馳走を整えて待ち,范式,字は巨卿は千里を厭わず赴いた。
107 周侯山嶷 会稽霞挙 しゅうこうさんぎょく/かいけいかきょ 周侯,周(ぎ)の気高い人柄は切り立った山のようで,気品の高い会稽王が参内すると東の空が朝焼け(霞)するようだった。
109 季布一諾 阮瞻三語 きふいちだく/げんせんさんご 季布は信義があり黄金百斤は季布の一言の承諾に及ばぬと言われ,阮瞻は儒教・道教について三語で答え王戎を感心させた。
111 郭文遊山 袁宏泊渚 かくぶんゆさん/えんこうはくしょ 郭文は山水に遊ぶことを好み十日も家を忘れて帰らないことがあり,袁宏は月夜に牛渚に舟を泊めて謝尚と語り明かした。
113 黄〓対日 秦〓論天 こうえんたいじつ/しんふくろんてん 当意即妙。黄〓は幼い時に日食を三日月に喩えて人々を感心させ,秦〓は他国の使いの難問に天に頭・足・耳・姓ありと答えて相手を敬服させた。〓(王の右に宛),〓(宀の下に必)→密
115 孟軻養素 揚雄草玄 もうかようそ/ようゆうそうげん 『詩』『書』を整理し『孟子』を執筆をした孟軻(孟子)は日頃自分は,そのことによって浩然の気を養うのだと言い,揚雄は『太玄経』を執筆し世の動きに惑わされなかった。
117 向秀聞笛 伯牙絶絃 しょうしゅうぶんてき/はくがぜつげん 向秀は親友〓康が殺された後に「思旧賦」(隣人吹笛云々)を詠み,伯牙は自分の琴のよい理解者である鍾子期の死後は絃を絶って弾かなかった。秀→子,〓(禾の右に尤,これらの下に山)
119 郭槐自屈 南康猶憐 かくかいじくつ/なんこうゆうれん 賈(か)充の正妻郭槐は第二夫人李婉の気品に打たれ足を自らかがめ,桓温の妻南部公主は妾の所に殴り込んだが,その端麗さに愛憐の情を催した。康→郡
121 魯恭馴雉 宋均去獣 ろきょうじゅんち/そうきんきょじゅう 魯恭の仁政の為に雉も馴れて逃げることがなく,宋均が罠を取り去ると虎はその仁政に感じて江を渡り去っていった。雉→〓(羽の下に隹)
123 広客蛇影 殷師牛闘 こうかくじゃえい/いんしぎゅうとう 楽(がく)広の客は盃に映った蛇の像を本物と思い病臥し,殷師は奇病に罹り床の上を蟻が這うのも牛が闘う声に聞こえた。
125 元礼模楷 季彦領袖 げんれいぼかい/きげんりょうしゅう 李膺(よう),字は元礼は天下の人の模範と称され,裴秀,字は季彦は時の人から後学の手本と評された。模楷→楷模
127 魯褒銭神 崔烈銅臭 ろほうせんしん/さいれつどうしゅう 魯褒は『銭神論』を著し銭は鬼神をも駆使すると説き,崔烈は官職を買って三公に登った為に銅臭があるとあざけられた。
129 梁竦廟食 趙温雄飛 りょうしょうびょうしょく/ちょうおんゆうひ 梁竦は男は功を立て死んでは廟に祭られるべきだと大志を抱き,趙温は男は雄飛すべきだと言い遂に三公の位に登った。
131 枚乗蒲輪 鄭均白衣 ばいじょうほりん/ていきんはくい 年老いた枚乗は蒲(がま)で車輪を包んだ車で召しだされ,鄭均は退職して庶民となったが尚書の禄を賜り白衣(庶民の服)尚書と称された。
133 陵母伏剱 軻親断機 りょうぼふくけん/かしんだんき 王陵の母は軍中で自殺して我が子を励まし,孟子の母は機(はた)の織物を断ち切って我が子に学問を廃(や)めぬよう訓戒した。
135 斉后破環 謝女解圍 せいこうはかん/しゃじょかいい 斉王の妃は連環の玉を打ち砕き「解いた」と言って秦の始皇帝に対して智を示し,王凝之の妻謝氏は義弟に代わって客との討論に勝った。
137 鑿歯尺牘 荀勗音律 さくしせきとく/じゅんきょくおんりつ 習鑿歯は手紙で議論するのにすぐれていた。荀勗は音律に熟達し,路上の牛の鈴の音もよく聞き分けて楽器に利用した。
139 胡威推〓 陸績懐橘 こいすいけん/りくせきかいきつ 胡威は父から絹織物の出所をただして受け取り,陸績は幼時に袁術に会った際,出された橘を母の為にそっと懐に入れた。〓(糸の右に兼)
141 羅含呑鳥 江淹夢筆 らがんどんちょう/こうえんぼうひつ 羅含は夢で五色の鳥が口に飛び込んだと見て文才が上がり,江淹は夢で五色の筆を授かり文章が上達したが,筆を返した夢を見て文才が落ちた。夢→授
143 李〓清貞 劉麟高率 りきんせいてい/りゅうりんこうそつ 隠逸。李〓は心清く人の世話では恩を着せられるとして仕官を断り,劉麟之は高尚・率直で,仕官を断り隠遁した。〓(マダレに欽)
145 蒋〓三径 許由一瓢 しょうくさんけい/きょゆういっぴょう 蒋〓は屋敷内の竹林に三本の小道を通して逍遥の便りとし,許由の隠遁生活は物が無く人に贈られた瓢箪も風に鳴るのが煩わしいと捨てた。〓(言の右に羽)
147 楊僕移関 杜預建橋 ようぼくいかん/とよけんきょう 楊僕は関外出身を恥じ函谷関を私費で移動させて郷里を関内とし,杜預は孟津の渡しの遭難事故を防ぐ為に橋を架けた。
149 寿王議鼎 杜林駮尭 じゅおうぎてい/とりんはくぎょう 付和雷同しない。吾丘寿王は人々が周鼎とする宝鼎を漢鼎だと主張して帝に喜ばれ,杜林だけは郊祀に漢の創業に関与しない尭を祭るべきではないと主張した。
151 西施捧心 孫寿折腰 せいしほうしん/そんじゅせつよう 美女の西施は病気で胸を抑え眉を顰めているのも美しいので,醜女が真似をした。梁冀の美人妻孫寿は歩くときも腰を曲げてなまめかしくした。
153 霊輒扶輪 魏顆結草 れいちょうふりん/ぎかけっそう 霊輒は車を支えてかつて飢餓を救ってくれた恩人を助け,魏顆に殉死から救ってもらった娘の父の霊は草を結んで敵を倒して恩に報いた。
155 逸少傾写 平子絶倒 いっしょうけいしゃ/へいしぜっとう 王羲之,字は逸少は謝安・謝万兄弟を食器を傾けて接待した。衛〓は老荘に通じ王澄,字は平子を感極まって倒れさせた。〓(王の右に介)
157 澹台毀璧 子罕辞宝 たんだいきへき/しかんじほう 澹台は黄河を渡る時に璧を河伯(河の神)に所望されて結局壊し,子罕は玉を贈られたが自分は貪らないことが宝だと辞退した。
159 東平為善 司馬称好 とうへいいぜん/しばしょうこう 東平の憲王蒼は帝の問いに対して善を為すのが最も楽しいと答え,司馬徽は人の欠点を語らず何事も「好し」と言った。
161 公超霧市 魯般雲梯 こうちょうむし/ろはんうんてい 方術。張楷,字は公超は五里の間に不意に霧を降らせる術を持ち,学ぶ者が市をなした。魯般は雲に届くような長い梯子を作って城を攻めた。
163 田単火牛 江〓〓鶏 でんたんかぎゅう/こうゆうせつけい 奇計。田単は牛の角に刃物を縛り尾に火をつけて敵陣に追い立て,江〓は数百羽の鶏の足に火を結びつけ敵陣に放った。火→縦,〓(シンニュウにユウ・さけつぼ,新字源8296),〓(クサカンムリに熱)
165 蔡裔隕盗 張遼止啼 さいえいいんとう/ちょうりょうしてい 豪勇。蔡裔は声が雷のようで盗人もその声で堂より転げ落ち,張遼は武勇にすぐれ子供は彼が来るぞというと泣き止んだ。
167 陳平多轍 李広成蹊 ちんぺいたてつ/りこうせいけい 陳平は貧賤だったが門に富貴の人の車が多く集まり,李広は無口だったが桃李に口が無くても樹下に自然と小道ができるように人望が集まった。
169 陳遵投轄 山簡倒載 ちんじゅんとうかつ/さんかんとうさい 陳遵は酒宴が好きで客を足止めする為に車のくさびを抜いておき,山簡が酒を飲む時は夕方まで酒壷を傾け尽くした。
171 淵客泣珠 交甫解佩 えんかくきゅうしゅ/こうほかいはい 鮫人(人魚)つまり淵客が人家に寄住し,去る時に泣くと涙が珠になった。鄭交甫は水神の二人の女から腰に佩びる珠を得たが,やがて消えた。佩→珮
173 〓勝不屈 孫宝自劾 きょうしょうふくつ/そんぽうじがい 〓勝は王莽から何度も召されたが節を守って出仕せず,孫宝は自分が召し出された本当の理由を見破れなかったことで自らを責めて辞職した。〓(龍の下に共)
175 呂安題鳳 子猷尋戴 りょあんだいほう/しゆうじんたい 呂安は〓康を訪ねたが不在で兄の喜を相手にせず門に鳳(凡鳥)の字を書いて去り,王徽之,字は子猷は積雪の月夜に遥々と戴逵の門前まで行った。〓(禾の右に尤,これらの下に山)
177 董宣彊項 〓〓直言 とうせんきょうこう/てきおうちょくげん 董宣は公主の権威も憚らず,殺人を犯したその下僕を捕殺し公主に対して項(うなじ)を突っ張り謝らず,〓〓は主君の行いを遠慮なく批判した。〓(羽の下に隹),〓(王の右に黄)→任座
179 紀昌貫虱 養由号〓 きしょうかんしつ/ようゆうごうえん 弓の名人。紀昌は細毛で吊るしたしらみの胸を弓で射通し,養由基が猿を狙うと逃れられぬと思って樹を抱いて泣いた。紀昌→甘蝿,〓(ケモノヘンに爰)
181 馮衍帰里 張昭塞門 ふうえんきり/ちょうしょうそくもん 馮衍は大志を抱いていたが認められず郷里に帰り不遇でいた。張昭は主君を諫めたことで恨まれ門を土でふさがれた。
183 蘇韶鬼霊 盧充幽婚 そしょうきれい/ろじゅうゆうこん 蘇韶は死後また現れ,あの世で会った過去の人達のことを話した。盧充は亡霊の女と結婚し,翌年女の生んだ子が送り届けられた。
185 震畏四知 秉去三惑 しんいしち/へいきょさんわく 謹慎。楊震は世話をした者が密かに贈ろうとした金を天・地・神と我の四者が知ると辞退し,息子の秉は酒・色・財の三つの誘惑があると自重した。
187 柳下直道 叔敖陰徳 りゅうかちょくどう/しゅくごういんとく 柳下恵は正しい道を行い小人から退けられたが去ろうとせず,孫叔敖はそれを見ると死ぬという両頭の蛇を殺し他人には見せぬようにした。
189 張湯巧詆 杜周深刻 ちょうとうこうてい/としゅうしんこく 法の悪用。張湯は法律を弄び巧みに是非曲直を乱した。杜周は法の用い方は厳しく張湯に倣い武帝に都合よく法律を弄んだ。
191 三王尹京 二鮑糾慝 さんおういんけい/にほうきゅうとく 王尊・王章・王駿の三人は京兆(都)の尹(市長)としてよく治め,鮑永・鮑恢の二人は邪悪を糾弾し帝からも憚られた。
193 孫康映雪 車胤聚蛍 そんこうえいせつ/しゃいんしゅうけい 苦学。孫康は雪明かりで読書し,車胤は蛍を袋に集めて読書した。
195 李充四部 井春五経 りじゅうしぶ/せいしゅんごけい 李充は天子の文庫の図書を分類し甲・乙・丙・丁の四種類に分けた。井丹,字は大春は五経に通じた井大春と称された。唐以降は経・史・子・集
197 谷永筆札 顧ト丹青 こくえいひつさつ/こがいたんせい 谷永は都で筆札つまり文章を称され,顧ト之は丹青つまり絵画では比類が無かった。永→雲
199 戴逵破琴 謝敷応星 たいきはきん/しゃふおうせい 戴逵は諸侯王の楽人となるのを不本意として琴を破壊し,謝敷は高尚の隠士(処子,有徳の隠遁者)として処子星の異変に感応して死去した。
201 阮宣杖頭 畢卓甕下 げんせんじょうとう/ひつたくようか 阮宣はいつも酒屋に行く為に銭を杖に掛け,畢卓は近所の家に忍び込み酒甕の間で盗み飲みをした。
203 文伯羞鼈 孟宗寄鮓 ぶんぱくしゅうべつ/もうそうきさ 文伯が小さいスッポンでもてなしたので客が怒り母が文伯を戒めた。孟宗の母は魚の管理官となった息子からのスシを嫌疑が懸かると拒絶した。
205 史丹青蒲 張湛白馬 したんせいほ/ちょうたんはくば 史丹は人が近づけない青蒲という所で泣いて天子を諫め,張湛はいつも白馬に乗っていたので帝は白馬先生にまた諫められると言った。
207 隠之感隣 王脩輟社 いんしかんりん/おうしゅうてつしゃ 隣人の母は息子に役人を選ぶならこういう人を選ぶべしと呉隠之を褒め,王脩がちょうど祭の日に死んだ母の一周忌に余りにも悲しんだので,里人はその年の祭を中止した。
209 阮放八雋 江〓四凶 げんぽうはっしゅん/こうきしきょう 阮放ら八人は名士として古の八雋(俊に同じ)に擬して八伯と呼ばれ,江〓らは粗悪ゆえに尭の時の四凶に擬して四伯と呼ばれた。〓(衆の血を自に)→泉
211 華〓忤旨 陳群蹙容 かきんごし/ちんぐんしゅくよう 華〓・陳群は共に漢の遺臣ゆえ,魏に仕えたが爵位を授ける旨に逆らい憂わしい顔色をしていた。〓(音の右に欠)
213 王濬懸刀 丁固生松 おうしゅんけんとう/ていこせいしょう 王濬は四本の刀(州に刀を一つ益している)が梁に懸かった夢を見て益州の太守に,丁固は腹上に松(分けると十八公)が生えた夢を見て十八年後に三公となった。
215 姜維膽斗 盧植音鐘 きょういたんと/ろしょくおんしょう 姜維は死んで解剖されたが,その肝は一斗枡程の大きさだった。盧植は鐘が響くように声が大きかった。
217 桓温奇骨 ケ艾大志 かんおんきこつ/とうがいたいし 桓温は幼時より人にすぐれた骨相があり,ケ艾は貧困であったが少時より大志を抱いていた。
219 楊脩捷対 羅友黙記 ようしゅうしょうたい/らゆうもくき 楊脩はすばやい応答をし,羅友は暗記力が抜群だった。
221 杜康造酒 蒼頡制字 とこうぞうしゅ/そうけつせいじ 杜康が酒を初めて造り,蒼頡が鳥の足跡を見て文字を発明した。
223 樗里智嚢 辺韶経笥 ちょりちのう/へんしょうけいし 樗里子と人に呼ばれた丞相の疾は智恵袋と称され,辺韶は腹が大きいのを笑われたがこれは五経を入れる笥(はこ)だと自慢した。
225 滕公佳城 王果石崖 とうこうかじょう/おうかせきがい 滕公夏侯嬰は三千年前に「佳城云々」と自分の名を記された棺の覆いを得て,そこに葬られた。王果は崖に懸かっていた棺に自分の名があったので改葬した。
227 買妻恥〓 沢室犯斎 ばいさいちしょう/たくしつはんさい 夫の苦学に見切りをつけて自ら去った朱買臣の妻は出世した夫に会い再〓(再婚)を恥じて死に,周沢は自分の斎戒の禁を犯した妻を獄に送った。〓(酉の右に焦)
229 馬后大練 孟光荊釵 ばこうたいれん/もうこうけいさい 明帝の馬皇后は粗絹のスカートをはき,梁鴻の妻孟光は荊釵(いばらのかんざし)と粗末な布のスカートであった。
231 顔叔秉燭 宋弘不諧 がんしゅくへいしょく/そうこうふかい 男の貞操。顔叔子はかくまった女との間を疑われぬよう終夜燭光を女に持たせ,宋弘は糟糠の妻がいるからと帝の姉との縁談を諧(かな)えなかった。
233 ケ通銅山 郭況金穴 とうつうどうざん/かくきょうきんけつ ケ通は餓死の相があるというので帝から銅山を賜り,郭況はしばしば帝から銭や絹布を賜ったので彼の家は金穴と呼ばれた。
235 秦彭攀轅 侯覇臥轍 しんほうはんえん/こうはがてつ 秦彭が任地を去る時住民は車の轅(ながえ)に攀じ登って別れを惜しみ,侯覇が帝から召されると住民は使者の車を遮り路上に臥して留任を願った。
237 淳于炙〓 彦国吐屑 じゅんうしゃか/げんこくとせつ 淳于〓(こん)の能弁は車の油さしを炙るように尽きないと評され,胡母輔之,字は彦国が妙句を次々吐く様は木を挽く時のおがくずのようだと言われた。〓(車の右に果),〓(髟の下に几)
239 太真玉台 武子金埒 たいしんぎょくだい/ぶしきんらつ 温〓,字は太真は密かに親戚の娘をめとろうとして玉の鏡台を結納とし,王済,字は武子は豪奢で馬場の埒(柵)は銭で編んだものだった。〓(山の右に喬),埒→〓(土の右に孚)
241 巫馬戴星 〓賤弾琴 ふばたいせい/ふくせんだんきん 政治をとるのに,巫馬期は星を戴き日夜休み無く務め,〓子賤は琴を弾いているだけだったが,結果は同じだった。戴→帯,〓(宀の下に必)→蜜
243 〓廉留銭 雷義送金 かくれんりゅうせん/らいぎそうきん 清廉。〓子廉は姉の家で食事をしても食費を席の下に留めて去り,雷義は死罪から救ってやった人から送られた謝礼金を受け取らなかった。〓(赤にオオザト),雷義→陳重
245 逢萌挂冠 胡昭投簪 ほうほうけいかん/こしょうとうしん 逢萌は冠を城門に掛けて退官隠居し,胡昭は仕えている時に身につける簪(こうがい)を捨て礼服の帯もつけず隠者として暮らした。
247 王喬双鳧 華佗五禽 おうきょうそうふ/かだごきん 王喬は任地から朝廷に行くのに二羽の鳧(けり)となって飛んでいき,華佗は老化を防ぐのに鳥獣の動きに学んだ五禽の戯という運動をした。佗→他
249 程〓隷書 史籀大篆 ていはくれいしょ/しちゅうだいてん 秦の程〓は獄中で篆字を改めて徒隷(しもべ)にもわかるような文字である隷書を考案し,それより前の周の太史(記録係)の籀は古文字を改めて大篆の文字を作った。〓(シンニュウに貌)
251 王承魚盗 丙吉牛喘 おうしょうぎょとう/へいきつぎゅうぜん 仁政。王承は魚を盗んだ小役人を池は皆で楽しむべきものだと許し,丙吉は春なのに喘いでいる牛を見て三公として陰陽の気の調和を考慮した。
253 賈j〓帷 郭賀露冕 かそうけんい/かくがろべん 賈jは赴任の際に早くも車の帷(とばり)をかかげ行政を視察し,郭賀は善政により特に三公の服を賜ったので車の帷を外して冕(冠)が見えるようにした。〓(騫の馬が衣)
255 馮媛当熊 班女辞輦 ふうえんとうゆう/はんじょじれん 馮昭儀は身を挺して熊から帝を守り,班〓、(しょうよ,妻妾の職)は天子の輦(てぐるま)に乗るように言われて賢臣こそがそうすべきだと辞退した。〓(捷をオンナヘンに)
257 王充閲市 董生下帷 おうじゅうえつし/とうせいかい 王充は貧乏で本が無く町の店で立ち読みをして覚え,董仲舒は気が散らぬよう幕を下ろして読書(あるいは講義)した為に弟子は顔を見たことがなかった。
259 平叔傅粉 弘治凝脂 へいしゅくふふん/こうちぎょうし 美男で色白の平叔は白粉を傅(つ)けているのではないかと疑われ,帝から試された。杜艾,字は弘治も肌がきれいで凝った脂のようだった。治→冶
261 楊宝黄雀 毛宝白亀 ようほうこうじゃく/もうほうはくき 楊宝は黄雀(雀の子)を助けてお礼に玉を得た。毛宝(又はその部下)は白亀を救ってやり,後に戦争の為に川で溺死しかけたが亀の背に乗って助かった。雀と亀の報恩
263 宿瘤採桑 漆室憂葵 しゅくりゅうさいそう/しつしつゆうき 賢明な田舎娘。宿瘤(斉の閔王の后の号,首に大きな瘤がある)は親の言いつけだと言って天子の行列を拝せず桑を採る手を休めなかった。漆室村の娘は自分の家の野菜の葵が荒らされたことを例に引き,女性も国政に関心を持つべきだと説いた。瘤と幸い
265 韋賢満〓 夏侯拾芥 いけんまんえい/かこうしゅうかい 韋賢は日頃,子に黄金一〓(かご)を与えるより一経書を教えるにしかずと言い,夏侯勝は経学に明るければ公卿になるのは芥を拾うように簡単だと言った。〓(瀛のサンズイをタケカンムリに)
267 阮簡曠達 袁耽俊邁 げんかんこうたつ/えんたんしゅんまい 阮簡(阮咸の甥)は喪中も外出するなど心のままに振る舞い小さいことには拘らぬ人で,袁耽は多能で博打も上手く人の為に勝ってやった。
269 蘇武持節 鄭衆不拝 そぶじせつ/ていしゅうふはい 匈奴に使し忠節を守った。蘇武は節(使節の旗)を持って十九年間匈奴に降らず胡地で苦労し,鄭衆は匈奴の単于(王)に対する拝伏の強要に従わなかった。
271 郭巨将坑 董永自売 かくきょしょうこう/とうえいじばい 孝感説話。郭巨は母親の食事を確保する為に我が子を坑(あな)に埋めようとして黄金を得,董永は親の葬式費用に我が身を売って天女の協力を得た。
273 仲連蹈海 范蠡泛湖 ちゅうれんとうかい/はんれいへんこ 斉の魯仲連は秦の臣になるよりも東海に身を投げて死んだほうがよいと従わず,范蠡は越王勾践に仕え呉を滅ぼした後,舟を五湖に泛(う)かべて逃れた。
275 文宝緝柳 温舒截蒲 ぶんぽうしゅうりゅう/おんじょせつほ 孫敬,字は文宝は貧しく楊柳の葉を継ぎ合わせて経書を写し,路温舒は沢で羊を飼いつつ蒲(がま)を紙代わりとして書物を写した。
277 伯道無児 〓紹不孤 はくどうむじ/けいしょうふこ ケ攸(ゆう)字は伯道は我が子を棄て亡弟の子を連れて乱から逃げたが,その後は子に恵まれなかった。〓康は殺される時,我が子紹に親友山濤がいるからお前は孤児にならないと言った。〓(禾の右に尤,これらの下に山)
279 緑珠墜楼 文君当〓 りょくじゅついろう/ぶんくんとうろ 歌姫の緑珠は愛する石崇の為に楼より飛び降り自殺をし,富人の娘の卓文君は貧しい司馬相如と駆け落ちして生活の為に酒売り場(〓)を担当した。〓(土の右に盧)→鑪
281 伊尹負鼎 〓戚扣角 いいんふてい/ねいせきこうかく 伊尹は鼎を背負い料理人として殷の湯王に接近し,〓戚は牛の角を叩いて歌い斉の桓公に用いられた。〓(上から宀・必・冉)
283 趙壱坎〓 顔駟蹇剥 ちょういつかんらん/がんしけんぱく 趙壱は人相見から仕官しても郡吏どまりと言われ,その通りになった。顔駟は年老いても不遇で郎官に留まっていたが武帝に抜擢された。〓(凜をツチヘンに)
285 〓遂勧農 文翁興学 きょうすいかんのう/ぶんおうこうがく 渤海郡の太守〓遂は民に農業を奨励し剣を売って牛を購入させ,蜀郡の太守文翁は成都に官立学校を建て学問を勧めた。〓(龍の下に共)
287 晏御揚揚 五鹿嶽嶽 あんぎょようよう/ごろくがくがく 晏嬰の御車は宰相の車を御して意気揚々としていたが妻にたしなめられ,五鹿充宗の得意の易学も朱雲の為に嶽嶽たる(長い)角を折られた。
289 蕭朱結綬 王貢弾冠 しょうしゅけつじゅ/おうこうだんかん 友人同志が互いに推挙。蕭育が位におれば朱博に印綬を結ばせ(任官),王陽・貢禹のいずれかが先に仕えれば遅れたほうが冠の塵を払って任官を待った。
291 〓統展驥 仇覧棲鸞 ほうとうてんき/きゅうらんせいらん 〓統はその大才が驥(千里の馬)の千里に足を展ばすが如しと言われ,仇覧が就いた職が才徳に不相応なのは鸞鳳がからたちに棲むようだと言われた。〓(マダレに龍)
293 諸葛顧廬 韓信升壇 しょかつころ/かんしんしょうだん 劉備は諸葛亮,字は孔明を迎えるのに三度もその草廬(いおり)を訪れ,劉邦は韓信を国士無双ゆえに壇に升(のぼ)らせて拝して大将軍に任じた。諸葛→葛亮
295 王〓柏惨 閔損衣単 おうほうはくさん/びんそんいたん 王〓は父の死を朝夕悲しんだので墓標の松柏を惨(いた)め,閔損,字は子騫は冬でも自分を薄着させていた継母が父から離縁されるのを止めた。〓(衣の間に臼)→褒
297 蒙恬製筆 蔡倫造紙 もうてんせいひつ/さいりんぞうし 筆は秦の将軍蒙恬から始まり,紙は漢の蔡倫が発明した。
299 孔〓〓袍 祭遵布被 こうきゅうおんぽう/さいいじゅんふひ 孔〓は〓袍(古綿入りのどてら)を着て足れりとし人の恵を受けず,祭遵は私財を貪らず木綿の袴や夜具を用いていた。〓(ニンベンに及),〓(媼をイトヘンに)
301 周公握髪 蔡〓倒〓 しゅうこうあくはつ/さいゆうとうし 周公は賢士を失うのを恐れ一回の洗髪中に三度も髪を握って客と応対し,蔡〓は敬愛する王粲が訪れると〓(はきもの)を逆にはいて急ぎ迎え入れた。〓(巛の下に邑),〓(尸の下に徙)
303 王敦傾室 紀瞻出妓 おうとんけいしつ/きせんしゅつぎ 王敦は女色を諫められて直ちに房室の婢妾数十人を皆解放し,紀瞻は客前に愛妾を出し客の一人周(ぎ)は女の気を引こうと平然と語りあった。
305 暴勝持斧 張綱埋輪 ばくしょうじふ/ちょうこうまいりん 暴勝之は討伐の任務を示す斧を持って地方に行き盗賊を平らげ,張綱は地方の小悪より中央の大悪が問題だとして都に車輪を埋め視察に行かなかった。
307 霊運曲笠 林宗折巾 れいうんきょくりゅう/りんそうせつきん 謝霊運は柄の曲がった笠を戴くのは功名心の有無とは無関係と語り,郭泰,字は林宗は人気があり雨で一角が折れた彼の頭巾を人々は真似た。
309 屈原沢畔 漁父江浜 くつげんたくはん/ぎょふこうひん 屈原,名は平は讒言されて江沢の畔(ほとり)に追放され世の汚濁を嘆いていると,漁父が現れ心に融通を持たせ世と共に推移すべしと忠告して去った。
311 魏勃掃門 潘岳望塵 ぎぼつそうもん/はんがくぼうじん 魏勃は曹参の舎人の門前を掃除し彼に見(まみ)えることができ,潘岳は権勢家にへつらいその車のたてた塵埃を望み拝した(後塵を拝した)。
313 京房推律 翼奉観性 けいぼうすいりつ/よくほうかんせい 京房は本姓の李は音律から推し量ると自分の性に合わないことから京氏と改姓し,翼奉は歴(日時)や律(十二方位)で人の性情が観察できると奏上した。
315 甘寧奢侈 陸凱貴盛 かんねいしゃし/りくがいきせい 奢り栄えた呉国の人。甘寧は絹糸で船を繋ぐほど奢り,陸凱は一族皆栄えたが,国の荒廃を憂えた。
317 干木富義 於陵辞聘 かんぼくふぎ/おりょうじへい 段干木は処士でありながら義に富む者として魏侯から逆に挨拶され,於陵在住の子終は妻の忠告に従い楚王の招聘を辞退した。
319 元凱伝癖 伯英草聖 げんがいでんぺき/はくえいそうせい 杜預,字は元凱は人にはそれぞれ癖があるが自分には『左伝』を好む癖があると天子に答え,張芝,字は伯英は草書に絶妙で草聖と称された。
321 馮異大樹 千秋小車 ふういたいじゅ/せんしゅうしょうしゃ 馮異は謙譲の徳を持ち諸将が功を論じ合う中樹下に退いていたので大樹将軍と称され,車千秋は老齢で優遇され小車で宮殿に出入りしたので車丞相と称された。
323 漂母進食 孫鍾設瓜   ひょうぼしんしょく/そんしょうせつか 韓信は困窮していた時,洗濯婆に食物を恵まれ後に大金を贈り,孫鍾は瓜を三人の人,実は司命星(運命を司る神)に与え,その報いで子孫が繁栄した。
325 壷公謫天 薊訓歴家 ここうたくてん/けいくんれきか 費長房は,流罪で下界に来て壷に出入りする仙人と共に壷の中の世界で楽しんだ。薊子訓は猛スピードで一ときに二十三軒も歴訪した。
327 劉玄刮席 晋恵聞蟆 りゅうげんかつせき/しんけいぶんま 暗愚な天子。劉玄は天子になったが顔も上げ得ず席を刮(な)でるのみで,晋の恵帝は蝦蟆の声を聞いて公私いずれの為に鳴くのかとたずねた。
329 伊籍一拝 〓生長揖 いせきいつぱい/れきせいちょうゆう 伊籍は孫権に会い使いとして無道の君に一拝一起するぐらいは平気だと答えて感服させ,〓食其(いき)は長揖(手をこまぬく)の略礼だけを行って高祖劉邦の不躾を咎めた。〓(麗にオオザト)
331 馬安四至 応〓三入 ばあんしし/おうきょさんにゅう 馬安は宦官に取り入り四度も九卿の高位につき,応〓は文章に秀でて三回も承明廬(侍従控え室)に入り高官になった。〓(遽のシンニュウを王に)
333 郭解借交 朱家脱急 かくかいしゃくこう/しゅかだつきゅう 郭解は身を挺して友の仇を報じてやり,朱家は他人の急を救ってやったが少しも誇らなかった。
335 虞延刻期 盛吉垂泣 ぐえんこくき/せいきつすいきゅう 虞延は毎年夏の伏日と冬の臘日に罪人を帰宅させたが彼らは刻限には必ず戻ってきた。盛吉は罪人が処刑される冬になると同情して泣いた。
337 予譲呑炭 鋤麑触槐 よじょうどんたん/しょげいしょくかい 予譲は炭を呑んで唖となり主君智伯の敵の趙の襄子を打とうとしたが寛大な処置を受けて彼の衣服だけを刺してから自殺し,鋤麑は主君の命で超盾を殺しにきたが盾の見上げた態度に進退窮まり槐樹に首を打ち付けて死んだ。鋤→〓(金の右に且),麑→倪
339 阮孚蝋屐 祖約好財 げんぷろうげき/そやくこうざい 阮孚は屐(下駄)好みで,それに蝋をひいて磨きたてた。祖約は財貨を好んだが,阮孚のように大らかではなかった。
341 初平起石 左慈擲杯 しょへいきせき/さじてきはい 道術。黄初平は仙術で石にした牧羊を起たせて元通りにし,左慈が屋上に擲(なげう)った杯は揺らいでも落ちなかった。
343 武陵桃源 劉阮天台 ぶりょうとうげん/りゅうげんてんだい 武陵の漁師が桃源の奥にある小国寡民の理想郷に行ってきた。劉晨・阮肇の二人が天台山中で薬草採りをしていて仙郷に迷い込み,仙女と歓楽を共にして帰ってきた。陶潜「桃花源記」
345 王倹墜車 〓淵落水 おうけんついしゃ/ちょえんらくすい 高官のハプニング。司徒(丞相)の〓淵が川に落ちた。そのショックで僕射の王倹の車の牛が跳び上がり彼は車から落ちた。倹→常,〓(コロモヘンに者)
347 季倫錦障 春申珠履 きりんきんしょう/しゅんしんしゅり 石崇,字は季倫は錦で五十里の歩障(幔幕)を張り巡らせ,春申君は食客に真珠で飾った履(くつ)をはかせて使者を迎えさせた。
349 甄后出拝 劉髟ス視 しんこうしゅつぱい/りゅうていへいし 権威を恐れなかった人。魏の文帝は酒宴の席で甄皇后を引き合わせた。皆が礼をした中に劉驤齔lは皇后を見つめていただけで礼拝しなかった。
351 胡嬪争樗 晋武傷指 こひんそうちょ/しんぶしょうし 晋の武帝は寵后胡貴嬪と樗蒲(ちょぼ,博打の一種)を争い,夢中になって手の指を傷つけた。
353 石慶数馬 孔光温樹 せきけいすうば/こうこうおんじゅ 石慶は天子から自分の乗り物の馬の数を聞かれ鞭で一々数えて答え,孔光は家では朝政は一切語らず宮中の温室の樹のことを聞かれても他の話をした。数→路
355 〓湯隠操 許詢勝具 てきとういんそう/きょじゅんしょうぐ 〓湯は隠者としての操を固く持っていた。許詢は山水を好み,それらを跋渉する身体の持ち主だった。〓(羽の下に隹)
357 優旃滑稽 落下歴数 ゆうせんこっけい/らっかれきすう 優旃は俳優で人を笑わせる中にも諷刺があった。落下〓(こう)は歴数(暦)の大家であった。共に『史記』より。〓(宏の宀を門に)
359 曼容自免 子平畢娶 まんようじめん/しへいひつしゅ 足るを知る。〓丹(へいたん)字は曼容は高禄を望まず辞職して官を去り,向(しょう)長,字は子平は子を皆結婚させた後は世を捨てて山岳に遊んだ。〓(丙にオオザト)
361 師曠清耳 離婁明目 しこうせいじ/りろうめいはく 師曠は新造の鐘の音色が音律に適わないと指摘し後世の師涓が同意見だったので清んだ耳を称された。離婁は百歩離れた所からも毛の先端を観察できた。婁→朱
363 仲文照鏡 臨江折軸 ちゅうぶんしょうきょう/りんこうせつじく 殷漢,字は仲文は鏡に顔が映らない姿を見たが,それは後に誅せられる前兆だった。臨江の閔王栄が出発の際に車軸が折れたのは,長安で自害する前兆だった。
365 欒巴〓酒 偃師舞木 らんぱそんしゅ/えんしぶぼく 道術師の欒巴は酒を噴いて遠隔地の火災を消し,細工師の偃師は木でからくり人形を作り歌舞させた。〓(口の右に巽),舞→〓(ニンベンに舞)
367 徳潤傭書 君平売卜 とくじゅんようしょ/くんぺいばいぼく 〓沢,字は徳潤は人に雇われて文字を写し,その賃銀で紙や筆を買い,写した書物を読んで覚えた。厳遵字は君平は市中で占い,百文を得れば店を閉じた。〓(門の中に敢)
369 叔宝玉潤 彦輔氷清 しゅくほうぎょくじゅん/げんぽひょうせい 衛〓,字は叔宝は人物が玉が潤ったようであり,妻の父楽広,字は彦輔は清い氷のようであると評された。〓(王の右に介)
371 衛后髪〓 飛燕体軽 えいこうはつしん/ひえんたいけい 漢の武帝の衛皇后は黒髪の美しさゆえに世にときめき,成帝の后趙飛燕は体が軽く柳腰だったために帝に愛された。〓(髟の下に眞)
373 玄石沈湎 劉伶解酲 げんせきちんめん/りゅうれいかいてい 劉玄石は千日間酔いの醒めない酒に酔いしれたのを死んだとされて葬られたが三年後棺の中で醒め,劉伶は酲(二日酔い)を解く為に禁酒の願掛けの神酒を飲んだ。伶→霊,酲→醒
375 趙勝謝躄 楚荘絶纓 ちょうしょうしゃへき/そそうぜつえい 平原君趙勝は食客が離反したのは躄(いざり)を笑った美人を処刑しなかったからだと知り,女を切って躄に謝罪した。楚の荘王の宴席で燭光が消えた闇で美人の袖を引いた者がおり,美人は纓(冠の紐)を切って犯人を捜そうとしたが,王は全員に切らせて犯人を救った。
377 悪来多力 飛廉善走 おらいたりき/ひぜんぜんそう 飛廉は足が速く,その子悪来は力持ちだった。
379 趙孟疵面 田駢天口 ちょうもうしめん/でんへんてんこう 趙孟は顔に疵(あざ)があり,清談をよくした。田駢はその弁舌を天の口と言われ,広く果てしなく窮め難いものがあった。
381 張憑理窟 裴〓談薮 ちょうひょうりくつ/はいきだんそう 弁論にすぐれた人。張憑は帝から理の集まる窟(いわあな)とほめられ,裴〓は時の人から談論の薮(やぶ)と称された。〓(危の右に頁)
383 仲宣独歩 子建八斗 ちゅうせんどっぽ/しけんはっと 王粲,字は仲宣の文才は漢南で独歩していると言われ,曹植,字は子建の文才は天下の文才を一石とするとその八斗(八〇%)を占めていると評された。
385 広漢鉤距 弘羊心計 こうかんこうきょ/こうようしんけい 趙広漢はよく鉤距(けづめのある釣り針)の方法(入りやすいが出にくい,人を深入りさせる)で実情を察し得た。桑弘羊は心中の計算に巧みであった。
387 衛青拝幕 去病辞第 えいせいはいばく/きょへいじだい 衛青は匈奴討伐の功により陣営の幕の中で大将軍職を拝命し,甥の霍去病は匈奴征伐の功で武帝が第(邸宅)を修理してやったが辞退した。
389 〓奇売友 紀信詐帝 れききばいゆう/きしんさてい 周勃は〓奇に友人の呂禄将軍を誘わせ不在中に呂氏一族を誅したので〓奇は友を売ったと避難され,漢の高祖が項羽に囲まれた時,紀信は身代りに帝だと偽って捕えられた。〓(麗にオオザト),詐→作
391 済叔不癡 周兄無慧 さいしゅくふち/しゅうけいむけい 王済は愚痴とされていた叔父王湛の賢さに感服した。周子の兄は豆と麦の区別がつかぬ知恵(慧)なしだったので弟が跡を継いだ。
393 虞卿擔〓 蘇章負笈 ぐけいたんとう/そしょうふきゅう 虞卿は〓(長柄の傘)を担いで諸国を遊説した。蘇章は千里を遠しとせず笈(本箱)を背負い,師を求めて勉学した。〓(竹の下に登)
395 南風擲孕 商受〓渉 なんぷうてきよう/しょうじゅさくしょう 晋の皇后南風は孕んだ帝の妾の腹にほこを擲(なげう)った。商王受つまり殷の紂王は水を渉る者の足を〓(き)った。受→紂,〓(昔の右に斤)
397 広徳従橋 君章拒猟 こうとくじゅうきょう/くんしょうきょりょう 薛広徳は乗船の危険を避け橋を渡って宗廟に参るように帝に勧め,〓ツ(しつうん)字は君章は猟にふけった帝が宮門に入るのを拒んだ。〓(至にオオザト)
399 応奉五行 安世三篋 おうほうごぎょう/あんせいさんきょう 応奉は頭がよく読書するのに五行を一度に読み下し,張安世は天子が紛失した三個の本箱の書物を全部暗記していた。
401 相如題柱 終軍棄繻 しょうじょだいちゅう/しゅうぐんきじゅ 司馬相如は郷里を出る際に橋柱に出世を誓う言葉を題し,終軍は関所で渡された繻(絹の手形)を,都に出て出世を志すからには戻り手形は不要と棄てた。
403 孫晨藁席 原憲桑枢 そんしんこうせき/げんけんそうすう 孫晨は冬の布団がなく代わりに藁(わら)一束を用い,原憲は粗末な住まいで桑の木を扉の枢(とぼそ,くるる,軸)とした。
405 端木辞金 鍾離委珠 たんぼくじきん/しょうりいしゅ 端木賜,字は子貢(孔子の弟子)は公金で人身を買い戻す法になっているところを私金を使用して公金は辞退し,鍾離意は収賄で没収した珠を与えられたが委棄した。
407 季札挂剱 徐穉置芻 きさつけいけん/じょちちすう 季札は剱を贈ろうと決めた徐君が死んだが墓に掛けて心の約束を果たし,徐穉は郭泰の母を弔い墓に生芻(なままぐさ)を供えた。徐穉→孺子,置→致
409 朱雲折檻 申屠断鞅 しゅうんせっかん/しんとだんおう 朱雲は宮殿の檻(てすり)を折るまでしがみついて帝に佞臣を斬ることを強く願い,申屠剛は馬の鞅(むながい)を切ってまで帝の出遊を諫めた。
411 衛〓羊車 王恭鶴〓 えいかいようしゃ/おうきょうかくしょう 衛〓は幼少時羊車に乗っていたが,その美しさを玉人に喩えられ,王恭は鶴〓裘(鶴の羽衣)を着た姿を仙人のようだと言われた。〓(王の右に介),〓(敞の下に毛)
413 管仲随馬 倉舒称象 かんちゅうずいば/そうじょしょうぞう 管仲は道に迷った時,老馬に随って帰路を見出し,曹沖,字は倉舒は大人がわからなかった象の目方を称(はか)る方法を述べて幼智を示した。倉→蒼,称→秤
415 丁蘭刻木 伯瑜泣杖 ていらんこくぼく/はくゆきゅうじょう 丁蘭は木を刻んで母の像を作り生前のように仕え,伯瑜は折檻される杖が痛くないことから母が老いたのを感じて歎き悲しんだ。
417 陳逵豪爽 田方簡傲 ちんきごうそう/でんぽうかんごう 陳逵は気性が豪快で諸人の相手にならず,田子方は簡傲(おろそかでおごる)で貧賤の者が心奢りしても失うものなしとて権貴に礼をしなかった。
419 黄向訪主 陳寔遺盗 こうきょうほうしゅ/ちんしょくいとう 黄向は路上で拾った金袋を落とし主を尋ねて届けた。陳寔は自分の家に忍び込み梁上に上がった盗賊に貧しさゆえの出来心だろうと諭して布を恵んだ。
421 〓倹鑿井 陰方祀竃 ほうけんさくせい/いんほうしそう 〓倹は井戸を掘って銅銭を得たが,その銭で雇った下僕は行方不明の父だった。陰子方は臘日に現れた竃(かまど)の神を祀って富貴を得た。〓(マダレに龍)
423 韓寿竊香 王濛市帽 かんじゅせつこう/おうもうしぼう 女性にもてた美男。韓寿は司空(副丞相,賈充)の娘より,親から竊(ぬす)んだ香を贈られ,王濛が破帽で町に行くと嫗(う,おうな)達は競って新品の帽子を彼に贈った。
425 勾践投醪 陸抗嘗薬 こうせんとうろう/りくこうしょうやく 勾践は一樽の醪(濁酒)を流れに注ぎ士卒全員にその水を飲ませ,陸抗は病気になった時,敵だが人格は認め合う羊〓が贈った薬を疑念なく飲んだ。〓(示の右に古)
427 孔愉放亀 張堕鵲 こうゆほうき/ちょうこうだじゃく 孔愉が金印を鋳造すると,つまみが以前放してやった亀のように左向きになり,張が打ち落とした山鵲が丸い石になり,それを割って金印を得た。
429 田予倹素 李恂清約 でんよけんそ/りじゅんせいやく 田予は褒美は皆部下に分かち与え自分は質素で,李恂は清廉倹約で,羊の皮の敷物を用いたり布の着物を着たりしていた。恂→c
431 義縦攻剽 周陽暴虐 ぎしょうこうひょう/しゅうようぼうぎゃく 義縦は若い時は群盗の仲間になり攻め剽(おびやか)していた。周陽由は郡主の中で最も暴虐であった。
433 孟陽擲瓦 賈氏如皐 もうようてきが/かしじょこう 醜貌の男。張載,字は孟陽は町中で子供に石や瓦をなげつけられ,賈の大夫は皐(さわ)に如(ゆ)き雉を射落として初めて妻の笑うのを見た。
435 顔回箪瓢 仲蔚蓬蒿 がんかいたんぴょう/ちゅういほうこう 顔回は一箪(かご)一瓢の飲食物の貧しさに耐えて学問をし,張仲蔚は蓬蒿(よもぎ)が人の背丈以上に茂る住まいで門を閉じ徳性を保っていた。箪瓢→瓢箪
437 麋竺収資 桓景登高 びじくしゅうし/かんけいとうこう 麋竺は天女に火災を予告され急いで帰宅して物資を運び出し,桓景は師の費長房に九月九日に火災があるから高山に登って避難するように告げられ実行した。登高の起源
439 雷煥送剱 呂虔佩刀 らいかんそうけん/りょけいはいとう 雷煥は双剱を掘り当て一振りは張華に贈り,もう一つは身につけた。呂虔は自分の佩刀を相(み),三公になるべき人が持つものとして王祥に贈った。佩→帰
441 老莱斑衣 黄香扇枕 ろうらいはんい/こうこうせんちん 七十歳の老莱子は斑衣(派手な模様の子供服)を着て子供の仕草をして親を喜ばせ,黄香は母の為に暑い時は枕を扇ぎ寒い時は体温で布団を温めた。
443 王祥守〓 蔡順分椹 おうしょうしゅだい/さいじゅんぶんしん 王祥は継母の命により〓(からなし)の木を風雨にめげず守り続け,蔡順は椹(くわのみ)をより分けて熟した黒い方を母に与えると言って賊を感服させた。〓(木の下に示)
445 淮南食時 左思十稔 わいなんしょくじ/さしじゅうねん 淮南王劉安は早朝に勅命を受けた離騒の注釈を朝食時までに成し,左思は三都の賦を作るのに構想十稔(年)を費やした。
447 劉〓傾醸 孝伯痛飲 りゅうたんけいじょう/こうはくつういん 劉〓は何充の飲みっぷりがいいので自家醸造の酒を全部飲ませたいものだと語り,王孝伯は人は酒を痛飲し離騒がよく読めれば名士たり得ると言った。〓(リッシンベンに炎)
449 女〓補天 長房縮地 じょかほてん/ちょうぼうしゅくち 女〓氏は五色の石で天の欠けたのを補い,費長房は地脈を縮める術を会得した。〓(女の右に咼)
451 季珪士首 安国国器 きけいししゅ/あんこくこくき 崔〓(さいえん)字は季珪は人士中の首席と称され,天子は韓安国を国政を任すべき大器と考えた。〓(王の右に炎)
453 陸玩無人 賈〓非次 りくがんぶじん/かくひじ 陸玩は司空に任ぜられた時,天下に人がいないから自分のような者がなったと嘆息し,賈〓が太尉に任ぜられた時,人からその次(位)に非ずと笑われた。〓(言の右に羽)
455 何晏神伏 郭奕心酔 かあんしんぷく/かくえきしんすい 何晏は『老子注』を書いたが王弼の精しい注を見て神に従うように感じ伏し,郭奕は若くして重々しい名声があったが阮咸を一見して心酔した。
457 常林帯経 高鳳漂麦 じょうりんたいけい/こうほうひょうばく 常林は兵乱の中,常に田野で経書を携え耕作しながら勉強し,高鳳は読書に熱中し俄雨に気付かず雨で麦を流して妻に叱られた。
459 孟嘉落帽 〓〓堕〓 もうからくぼう/ゆがいださく 孟嘉は酒宴で酔い帽子が落ちたのも知らず,酔った〓〓は机上に落ちた〓(髪を包むスカーフのような巾)を手で取らず頭を差し入れてかぶった。〓(マダレに臾),〓(豈にノブン),〓(巾の右に責)
461 龍逢板出 張華台〓 りゅうほうはんしゅつ/ちょうかだいたく 讖緯。夏の関龍逢が殺された後,桀王の運命を記した金板が庭から出た。張華が三公になった時,中台星の光が〓(さ)けたが果たして害に遭った。〓(土の右に斥)
463 董奉活〓 扁鵲起〓 とうほうかつしょう/へんじゃくきかく 董奉は中毒死した杜〓を丸薬で生き返らせ,扁鵲は死んだ〓の国の太子を鍼治療で蘇生させた。〓(燮の又を火に),〓(埒の右だけの右に虎)
465 〓恂借一 何武去思 こうじゅんしゃくいつ/かぶきょし 〓恂はもう一度住人から留任を懇願され,何武は任地から去った後も住民から追慕された。〓(寇の攴を女に),一→留
467 韓子孤憤 梁鴻五噫 かんしこふん/りょうこうごい 韓非は王を諫めて用いられず「孤憤」以下の論文を書き,梁鴻は時勢の変移を嘆じて「五噫之歌」を作った。『韓非子』
469 蔡〓弁琴 王粲覆棊 さいえんべんきん/おうさんふっき 蔡〓(蔡〓の娘)は琴のどの絃が切れたか見ずに弁別し,王粲は人の碁を覚えていて一旦崩したのを元通りに覆(=復)した。〓(王の右に炎),〓(巛の下に邑)
471 西門投巫 何謙焚祠 せいもんとうふ/かけんふんし 俗言を否定。西門豹は河伯が人身御供を求めていると言う巫女を河中に投げ込み,何謙は神祠を恐れず皆焼いてしまった。
473 孟嘗還珠 劉昆反火 もうしょうかんしゅ/りゅうこんはんか 太守の仁政。孟嘗の清潔な政治で前任の苛斂(かれん)に逃亡していた真珠採りが還り,劉昆は火災のたびに叩頭(こうとう)して祈り火を消した。
475 姜肱共被 孔融譲果 きょうこうきょうひ/こうゆうじょうか 悌順。姜肱は兄弟仲良く布団を共にして寝た。孔融は梨や棗などの果物を食べるのに兄達に譲って小粒なのを選んだ。
477 端康相代 亮陟隔坐 たんこうそうだい/りょうちょくかくざ 韋端が涼州刺史から転出した後任に子の康がなったのが栄誉とされ,紀亮が尚書となり子の陟が上官の中書令なので朝会ごとに屏風で座を隔てさせた。陟→〓(陟の歩の下に馬)
479 趙倫瘤怪 梁孝牛禍 ちょうりんりゅうかい/りょうこうぎゅうか 瘤がある趙王司馬倫は服劉(瘤に伏すと音通)鳥が現れて死に,梁の孝王は背に足の出た牛を献上されて六日のうちに死んだ。
481 桓典避馬 王尊叱馭 かんてんひば/おうそんしつぎょ 桓典は執政に容赦せず御史の馬は避けよと言われた。王尊はある急坂で,王陽は孝子,自分は忠臣として急がねばならぬと御者を叱り馬を駆けさせた。
483 〓錯峭直 趙禹廉裾 ちょうそしょうちょく/ちょううれんきょ 〓錯はあまりにも正直すぎたので諸侯を刺激し遂に切られ,趙禹は廉直でおごり始終孤立していた。〓(旦の下に黽)
485 亮遺巾幗 備失匕箸 りょういきんかく/びしつひちょ 諸葛亮は戦いに応じない司馬仲達に女性の巾幗(喪の首飾り)を贈って臆病を諷し,劉備は曹操から英雄は自分達だけと言われた時,さじと箸を落として臆病を装った。
487 張翰適意 陶潜帰去 ちょうかんてきい/とうせんききょ 張翰は役人として洛陽にいたが秋風に江南の魚菜を思い出して人生は意に適(かな)うのが何よりだとさっさと故郷の呉に帰り,陶潜は官吏生活の窮屈さが嫌になり辞職帰郷した。「帰去来辞」
489 魏儲南館 漢相東閣 ぎちょなんかん/かんそうとうかく 魏の文帝は儲君(太子)の時,手紙に以前の南皮(なんぴ)の館での会食の楽しさを記し,漢の公孫弘は丞相になり東閣(小門)を開いて賢人を招き入れた。
491 楚元置醴 陳蕃下榻 そげんちれい/ちんばんかとう 楚の元王劉交は酒を好まぬ賢友の穆生の為に別に醴(あまざけ)を用意しておき,陳蕃は徐穉の為に特に榻(腰掛)を設置した。
493 広利泉涌 王覇氷合 こうりせんにゅう/おうはひょうごう 神明感応。李広利が剣を山に刺すと泉が湧き出た。王覇の真心で河水が氷結し軍を渡すことができた。
495 孔融坐満 鄭崇門雑 こうゆうざまん/ていすうもんざつ 徳望家。孔融,字は文挙は失職の時でも賓客で座敷が満杯で,鄭崇の門は市中のように賓客で雑踏していた。孔融→文挙
497 張堪折轅 周鎮漏船 ちょうかんせつえん/しゅうちんろうせん 清廉だった郡守。張堪は任地を去る時も轅(ながえ)の折れたままの車で,周鎮が辞職して帰る時,乗用の船は小さくて水漏れのするものだった。
499 郭〓竹馬 劉寛蒲鞭 かくきゅうちくば/りゅうかんほべん 郭〓が任地を巡視した時,大勢の児童が竹馬で出迎えた。劉寛は小吏に過失があれば蒲の柔らかい鞭で打つだけだった。〓(ニンベンに及)
501 許史侯盛 韋平相延 きょしこうせい/いへいしょうえん 漢の元帝・宣帝は母や祖母の非業の死に報いようと一門の許氏三人・史氏四人を諸侯に封じ,韋賢父子は相次ぎ丞相となり平当父子は続いて丞相・大司徒となった。
503 雍伯種玉 黄尋飛銭 ようはくしゅぎょく/こうじんひせん 雍伯は陰徳で報われた小石一升を種(う)えて璧を得た。黄尋は嵐で飛んできたたくさんの銭で金持ちになった。
505 王允千里 黄憲万頃 おうじゅうせんり/こうけんばんけい 王允は才能が千里を走る駿馬のようで,黄憲の器量は万頃もある広い陂(つつみ,池)の水にようで推し量れないと,共に郭泰(林宗)から推称された。
507 虞〓才望 戴淵峰穎 ぐひさいぼう/たいえんほうえい 虞〓は三公となるべき才能徳望を兼備していると称され,戴淵は強盗をしていたが風采は高峰がぬきんでているように特に目立っていた。〓(馬の右に斐),才→体
509 史魚黜殯 子嚢城郢 しぎょちゅつひん/しのうじょうえい 史魚は死ぬ時に自分の殯礼を黜(しりぞ)けよと遺言して屍諫(しかん,屍は死骸)を果たし,子嚢は自分のし残した郢の築城のことを遺言した。
511 戴封積薪 耿恭拝井 たいほうせきしん/きょうこうはいせい 戴封が雨乞いの為に積んだ薪で焼身自殺をしようとすると雨が降り,耿恭が籠城した時に水の無い井戸を拝むと水が奔出した。
513 汲黯開倉 馮煖折券 きゅうあんかいそう/ふうえんせつけん 汲黯は火事見舞いに派遣されたがより急務だとして官倉を開いて貧民を救済し,馮煖は借金の取り立てに派遣されたが券(借用証)を焼いて主君の為に人民の義を買ってきたと報告した。
515 斉景駟千 何曽食万 せいけいしせん/かそうしょくまん 斉の景公は馬車四千頭を持っていた。何曽の毎日の食事は万銭を費やした。
517 顧栄錫炙 田文比飯 こえいしゃくしゃ/でんぶんひはん 顧栄は宴席の炙(焼肉)を料理人にも与え,孟嘗君田文は飯を比べさせて自分と食客との差別の無いことを納得させた。
519 稚珪蛙鳴 彦倫鶴怨 ちけいあけい/げんりんかくえん 孔稚珪は庭に雑草を茂らせ蛙の声を楽しみ「両部鼓吹」(坐部・立部の楽器)だといい,また騙されて鶴も悲しみ恨むという一節のある「北山移文」を草し周彦倫の似非隠者ぶりを批判した。
521 廉頗負荊 須賈擢髪 れんぱふけい/しゅかてきはつ 廉頗は自分が乱暴した藺(りん)相如に荊(いばら)を負って詫び,須賈は范〓(すい)に髪を擢(ぬ)かれてもまだ罪はぬぐえないと言って謝した。〓(目の右に隹)
523 孔翊絶書 申嘉私謁 こうよくぜっしょ/しんかしえつ 政治に私情をさし挟まない。孔翊は洛陽の令として人の頼み願う手紙は皆水中に投げ入れ開いて見なかった。申屠嘉は公でない謁見は受けなかった。
525 淵明把菊 真長望月 えんめいはぎく/しんちょうぼうげつ 陶潜,字は淵明は重陽の節に酒が無く菊を把(と)っていると太守が酒を贈ってくれ,劉〓(たん)字は真長は清風朗月を共に眺める許詢がいないのを残念がった。〓(リッシンベンに炎)
527 子房取履 釈之結韈 しぼうしゅり/しゃくしけつべつ 張良,字は子房は老人がわざと落とした履(くつ)を取り認められて兵法を伝授された。老人が張釈之に韈(下靴)の紐を結ばせて名を一層世に重からしめた。
529 郭丹約関 祖逖誓江 かくていやくかん/そてきせいこう 郭丹は函谷関に入る時,使者としての車に乗ってでなければこの関から出まいと誓い,祖逖は長江を渡る際,中原を平定せぬまま再び渡るなら,江の如く去って帰らぬ(死ぬ)と誓った。
531 賈逵問事 許慎無双 かきもんじ/きょしんむそう 賈逵は学問好きで人々から学事を問うて止まない賈長頭と言われ,許慎,字は叔重は五経に通じ世間から五経無双の許慎叔重と称された。
533 婁敬和親 白起坑降 ろうけいわしん/はっきこうこう 婁敬は匈奴対策に政略結婚で和親し,白起は後腐れのないように降服した敵兵四十万を皆坑殺(生き埋め)にしてしまった。
535 簫史鳳台 宋宗鶏窓 しょうしほうだい/そうそうけいそう 簫の名手簫史の音色に誘われ鳳が飛来したので彼の妻弄玉の父秦の穆公は台を作り,宋処宗が鶏籠を窓に置き可愛がっていると人語を話すようになった。
537 王陽嚢衣 馬援〓苡 おうようのうい/ばえんよくい 清廉。王吉,字は子陽は任地から去る時,一嚢(ふくろ)の衣類のみで,馬援は南方交阯にあっては常に〓苡(はとむぎ)を食べていた。〓(クサカンムリに意)
539 劉整交質 五倫十起 りゅうせいこうち/ごりんじっき 劉整は兄の子の食い扶持に車の幕を質物として交換し,第五倫は兄の子が病んだ時,一晩に十回も起きて見舞った。
541 張敞画眉 謝鯤折歯 ちょうしょうがび/しゃこんせっし 張敞は妻の為に眉墨を描いてやった。謝鯤は隣の娘にモーションをかけ梭(ひ)を投げつけられて歯を折った。
543 盛彦感〓 姜詩躍鯉 せいげんかんそう/きょうしやくり 盛彦が盲目の母が下女の恨みで〓〓(せいそう,すくも虫)を食べさせられたのを悲しむと母の目が開き,姜詩の家の庭に江水と同じ泉が湧き鯉が躍り出て母にいつも供えられるようになった。〓(虫の右に曹),〓(虫の右に齊)
545 宗資主諾 成〓坐嘯 そうししゅだく/せんしんざしょう 汝南の太守宗資は范滂に政治を任せて自分は画諾(文書を記し押印)するだけで,南陽の太守成〓は岑〓(しんしつ)に任せて自分は座って嘯くだけだった。宗→宋,〓(王の右に晉),〓(日の右に至)
547 伯成辞耕 厳陵去釣 はくせいじこう/げんりょうきょちょう 伯成は諸侯だったが世が末になっていくのを嘆き辞去耕作して暮らし,厳光,字は子陵は帝と親しかったにも関わらず釣りをして暮らした。
549 董遇三余 〓周独笑 とうぐうさんよ/しょうしゅうどくしょう 董遇は学生に向かい冬・夜・雨天の三余暇を利用して勉強すべきだと諭し,〓周は読書が楽しくてたまらず勉強しながら一人で微笑していた。〓(言の右に焦)
551 将閭仰天 王凌呼廟 しょうりょぎょうてん/おうりょうこびょう 将閭は死を賜った時,天を仰いで無実を訴え,王凌は護送の途中,賈逵(かき)の廟前で,自分も忠臣であると呼ばわった。
553 二疏散金 陸賈分〓 にそさんきん/りくかぶんたく 疏広と甥の疏受は天子からの退職金を散じて酒宴をなし大勢の人々と楽しみ,陸賈は使者として贈られた〓(ふくろ)の千金を五人の子に分けてやった。〓(嚢の冖の下を石・木に,新字源3830)
555 慈明八龍 禰衡一鶚 じめいはちりゅう/でいこういちがく 荀爽,字は慈明と八人の子は郷人から荀氏八龍,慈明無双と称され,禰衡は鷹を百羽累(かさ)ねるより彼のような一鶚(大鷲)を得るにしかずと評された。
557 不占殞車 子雲投閣 ふせんいんしゃ/しうんとうかく 陳不占は戦闘の声を聞いて車より殞(お)ちて死に,揚雄,字は子雲は王莽に捕らえられようとした時,閣より投身自殺を試みた。
559 魏舒堂堂 周舎鄂鄂 ぎじょどうどう/しゅうしゃがくがく 事対ではなく畳韻対。魏舒は威儀堂々として人の手本たるべき人物だった。周舎の没後,主君を鄂々(直言するさま)として諫める者が無かった。
561 無塩如漆 姑射若氷 ぶえんじょしつ/こやじゃくひょう 無塩邑の鍾離春は醜女で漆のように色黒だが後宮の掃除を願い出て才を認められ后妃となり,藐姑射(はこや)の山の仙女は氷雪のように美しいと言われた。
563 〓子投火 王思怒蝿 ちゅしとうか/おうしどよう 性急短気。〓子は人を捕らえられないのに癇癪を起こし誤って火に落ちて死に,王思は筆の先に来る蝿がうるさいと言って筆を投げつけて壊してしまった。〓(朱にオオザト)
565 苻朗p白 易牙〓〓 ふろうそうはく/えきがしじょう 苻朗は肉の味で鵞鳥の羽毛のp(黒)白や鶏の雌雄を判別し,易牙は〓水・〓水二川の水の味を区別した。〓(巛の下に田,これらにサンズイヘン),〓(サンズイヘンに黽)
567 周勃織薄 灌嬰販 しゅうぼつしょくはく/かんえいはんそう 漢の高祖の諸侯達の微賤時代。周勃は薄曲(蚕具)を織って生活し,灌嬰は潤iあらぎぬ)を販売していた。薄→〓(竹の下に曲)
569 馬良白眉 阮籍青眼 ばりょうはくび/げんせきせいがん 馬良は兄弟中で最もすぐれ,しかも眉が白かったので白眉と称された。阮籍は世俗の者には白眼で,異才の人には青眼で対した。
571 黥布開関 張良焼桟 げいふかいかん/ちょうりょうしょうさん 黥(いれずみ)の刑を受けた英布は項羽に従い函谷関を破った時先鋒を務め,張良は漢王に勧め桟道を焼くことで中原に野心のないことを示させた。
573 陳遺飯感 陶侃酒限 ちんいはんかん/とうげんしゅげん 陳遺の母は焦げ飯が好きで彼はよく勤め先から持ち帰ったので敗戦に際しても携帯していて助かり,陶侃は酒量の限度を守ることを親と約束し固く守った。
575 楚昭萍実 束ル竹簡 そしょうへいじつ/そくせきちくかん 楚の昭王は大きな萍(うきくさ)の実を得て孔子に何かと尋ね,束ルは張華に問われて科斗文字の竹簡を解読した。
577 曼倩三冬 陳思七歩 まんせいさんとう/ちんししちほ 東方朔,字は曼倩は十三歳の時に冬期三ヶ月間で文章史伝を読み書きできるほどになり,陳思王曹植は兄文帝の命で七歩の間に詩を作った。
579 劉寵一銭 廉范五袴 りゅうちょういっせん/れんぱんごこ 劉寵は任地を去る時,父老からの餞別を各一銭だけ受け取り一銭太守と称され,廉范は禁制の夜業を許可したので今は五袴ありと歌って喜ばれた。
581 氾毓字孤 〓鑑吐哺 はんいくじこ/ちかんとほ 氾毓の家は九族睦まじく孤児も字育(字は育てるの意)され,〓鑑は食べ物に窮したが村人が恵んでくれた飯を口に哺(ふく)み帰宅して甥に吐いて与えた。〓(希にオオザト)
583 苟弟転酷 厳母掃墓 こういてんこく/げんぼそうぼ 苟晞は刑罰に厳しかったが弟純は兄以上に過酷だった。厳延年の政治の厳しいことは屠伯(人殺し)と言われるほどで,彼の母は墓掃除をしてお前が殺されるのを待とうと言って帰郷した。
585 洪喬擲水 陳泰挂壁 こうきょうてきすい/ちんたいけいへき 殷羨字は洪喬は頼まれた手紙を皆水に投げ入れ自分は配達人ではないと言い,陳泰は貴人達から奴婢購入依頼の宝貨を贈られたが皆包みのまま壁に掛けておいた。
587 王述忿狷 荀粲惑溺 おうじゅつふんけん/じゅんさんわくでき 王述は卵が掴めないと口に入れ噛んで吐き出すほど忿狷で(怒りっぽく),荀粲は冬に妻が熱病に罹ると庭で冷やした自分の身体で冷やしてやるほど溺愛していた。
589 宋女愈謹 敬姜猶績 そうじょゆきん/けいきょうゆうせき 鮑蘇の妻女宗は夫が他所で外妻を娶っても夫の安否を問い外妻にも手厚くしていよいよ己を謹み,季敬姜は身分がよくても猶績(つむ)いで子を戒めた。
591 鮑照篇翰 陳琳書檄 ほうしょうへんかん/ちんりんしょげき 鮑照は詩文の大家で篇翰(書物)に通じないものはなく,陳琳は文書や檄文を善くし曹操がそれを読んで病気が治ったと言われたほどだった。
浩浩万古 不可備甄
芟煩〓華 爾曹勉旃
浩浩たる万古(ばんこ),備(つぶさ)に甄(あらわ)すべからず。
煩(はん)を芟(か)り華(か)を〓(と)る,爾(なんじ)が曹(ともがら)旃(これ)を勉めよ。
〓(テヘンに庶)
参          考

雲雨巫山 うんうふざん


古樹生花 こじゅせいか



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